「公共事業と住民参加のあるべき姿」を問う


第4回地域づくりを考えるシンポジウム
開催日時 2000年7月15日

パネリスト 中山 隆さん(岩手県土木部長:シンポジウム開催)
       小島 進さん(産直施設・ちいさな野菜畑主宰)
       白砂陽子さん(主婦)
司 会   大村尚視 (建設業界新聞記者)



 ■現在の公共事業の問題点

 ■公共事業の中での住民参加の位置付け

 ■住民、市民に受け入れられ、地域に支援される公共事業とは

 ■住民と行政、専門家のパートナーシップ

 ■会場から




 司会 「地域デザインと住民参加」というテーマで四月からシンポジウムを始めて、今回が四回目となります。主催は「明日の地域づくりを考える研究会」という団体ですが、研究会とはいっても、五人のスタッフで始めた情報交換会から始まっているものです。
 公務員の中澤さん、コンピューターソフト会社を経営している佐々木さん、建築士の丸山さん、風景計画家の田村さん、そして私、建設関係の業界新聞の記者をやっている大村と申しますけれども、以上の五人で始めた会です。
 内輪の情報交換会を月一回やっていたのですが、それだけではなく、外に出て一般向けのシンポジウムをやろうということで、それぞれが担当して四月から毎月一回やってきました。それで今回が四回目ということです。今回の担当は私が務めるということになっています。
 今回のテーマは「公共事業と住民参加のあるべき姿」という非常に大きなものに設定しました。うまく話を進めないと、どんどん外れてしまいそうな感じがしますが、ずっと住民参加を共通のテーマでやってきましたので、それからそれないようにやっていきたいと思います。
 今回は、パネラーとして盛岡の小鳥沢にお住まいの主婦の白砂陽子さん、県土木部長の中山隆さん、「ちいさな野菜畑」という産直施設をやっていらっしゃる小島進さんの三人をお願いしました。
 話を進める上でのテーマとして、1.現在の公共事業の問題点 2.公共事業の中での住民参加の位置付け 3.住民に受け入れられる、地域に支えられる公共事業とは 4.行政、住民・市民、専門家のパートナーシップ の四つを考えています。これに沿ってそれぞれ三人の方からお話をうかがっていきたいと思います。


■現在の公共事業の問題点


 司会 まず、「現在の公共事業の問題点」について話を進めますが、公共事業については、今さまざまな議論がされています。いわゆる有識者という人たちからは「もう社会資本整備は十分じゃないか」という話が出され、極論すれば「もう公共事業はいらないのではないか」というような話も出てきています。都市部では、そういうことがあるかもしれませんが、地方では「道路や下水道などをまだまだ整備してくれ」という声もあるわけです。
 一方では、例を出すと差し障りがあるかもしれませんが、年に何回も飛ばない農道空港だとか、ほとんど船が入ってこないような港湾の整備だとか、巨大な釣り堀ということでテレビなどで報道されたりもしましたが、公共事業にも無駄があるのではないかということは指摘されています。
 公共事業の在り方ということになると、かなり大きな議論になってしまいますが、今例を挙げたような公共事業へのさまざまな批判とか、指摘について、どう見ているのかをとっかかりに話を進めていきたいと思います。
 最初に小島さんと白砂さんから、住民の立場で公共事業についてどう見ているのかをお聞きして、それに対して行政の立場でどう見ているのかを中山さんからお話していただきたいと思います。最初に小島さんから。
 小島 私の親父は土建屋でした。公共事業のおかげで私をこんなに大きくさせていただきました(笑い)。「ちいさな野菜畑の大きな百姓」の小島でございます。
 公共事業にはさまざまな批判がありますけれど、私は公共事業の申し子ですから、どんどん盛んになって、どんどん赤字国債を増やし(笑い)、いっぺん国も「ご破算で願いましては」となったほうが早く再建ができ(笑い)、社会のいろいろな改善も進むのではないかと思っています。
 公共事業といっても、何が公共事業で、何が公共事業でないのかが明確になっていないのではないか。県ではよくいろいろなパンフレットを大量に作っていますが、県民がほとんど見ていないから、たぶん印刷業界への公共事業ではないかと思っています。
 公共事業で今一番問題にされているのは、見直しをしないということです。いったん決めたら、社会情勢が変わってもとことんやる。このへんがさんざん批判を浴びているところではないかと思います。
 私は昔、許永中で今いろいろ騒がれていますイトマン事件というのがありますが、イトマンという商社に十年ほどおりました。そこで、いつも言われていたことは、毎年三ヵ年計画を立てろということでした。要するに、三ヵ年計画を立てて、一年経ったら、また三ヵ年計画を立てる。一年経ったら社会情勢が変わっているということです。だから、毎年三ヵ年計画を立てさせられ、見直しを常に図るということをやらされました。そういうことが公共事業には基本的に欠けているのではないか。
 それともう一つ、経済活性化のための公共事業ということが多くの批判を浴びていると思います。例えば、土建屋さんから下へ給料が流れていって、消費を拡大して経済を活性化するという手法は、もう通らない。なぜ通らないか。それは経済が活性化しないからです。これからの日本の経済が活性化するか、しないかということを考えてみますと、いくら考えても活性化しないんです。
 僕は団塊の世代と言われる昭和二十五年生まれですが、団塊の世代は、毎年二百二、三十万人生まれていた。それが小学校に入るときには、小学校の建物が必要になる、中学校に入る時には中学校の建物が必要になった。どんどん建設業界がいろいろな公共事業の中で、子どもたちのためにという形で建てていった。大学に入る時には大学が必要になった。社会人になれば背広、そしてレジャー産業。どんどん団塊の世代が年を取っていくことによって、その時々の産業が活性化していった。
 ところが、団塊の世代も五十歳を過ぎて、あと十年あまりで六十歳になったら、年金生活。もらえるか、もらえないか分からないような年金生活。そういう状態ではみんな金を使いませんよね。次に購買力がある層は、みんな百十万人です。年間生まれている人数は団塊の世代の半分です。ということは、今まで作ってきたものが、半分しかいらないということです。経済が活性化するということは、物が売れるということですからね。物が売れない時代なんです。 だから、いかにもがき苦しんでも、物が売れない中で経済の活性化というのは、株式なんかのマネーゲームでしかあり得ないです。マネーゲームというのは、要するに博打ですから、いずれ破綻する。こういう中で経済を活性化するための公共事業ではなくて、何のための公共事業をするべきかということが、今問われているのではないかと思います。
 私は人間の生き方を、「経済生活」と「暮らし」と二つに分けて考えた方がいいのではないかと思います。要するに、金をもらって生きていく、金がないと生きていけないという部分というのは確かにあります。しかし、もっと暮らしの部分というものがもっともっと見直されてもいいような気がします。金とは関係のない部分です。そういう部分に対する公共事業というのが行政のやるべき仕事ではないかと思います。一つ一つの公共事業が「本当に暮らしに根ざしたものなのかどうか」ということを考えていくことが必要ではないか。今までの公共事業は業界のための公共事業になっている。これからは住民の暮らしのための公共事業でないといけないのではないかと感じています。
 司会 次に白砂さんお願いします。
 白砂 私は公共事業のことは全く分からないのですが、この会への出席を引き受けたのは、勉強させてもらった方がいいかなと思ったからです。「参加されている方たちは意識の高い人たちが多いですよ」と聞いて、本当は一番後ろの席で話をお伺いしたかったんです。が、一市民として、一人の人間として、考えてみる機会をつくるというのは大事なことかなと思い、参加させていただきました。
 公共事業については、まず「よく分からない」ということです。今現在、県内でどんな公共事業が行われているのかすら、ほとんど分かりません。それに、テレビで取り上げられているものは、「住民がとても反対している」というイメージがあります。先ほど、小島さんがおっしゃいましたように、最初の計画はずっと前に立てられて、「計画の見直し」がないまま進めていく、すごく不思議な気がします。住民感覚からズレているんだなあ、という気がしました。
 公共事業が行われる時に、情報公開が行われていると思うのですが、一般的には、結局「分からない」で終わっているように思います。私は、小鳥沢に住んでいますが、近年クリーンセンターがたいへん近くにできました。対策協議会がつくられて、「クリーンセンターだより」というものが配られるようになって、(どのような規模でどんな施設なのか)詳細がわかってきました。
 家を購入する時(八年前ですが)も、ここにクリーンセンターができるということを知らなかったため、クリーンセンターを建設する段階になってから知った。という感じでした。
 もっと身近なことでいうと、いま四十四田の公園整備をやっています。あれも公共事業なのかどうか分かりませんが、わが家からさほど離れていないところに橋を渡そうとしています。その土手に花がたくさん植えられているんです。土手に芝生を植えているのは見たことはあるんですが、全面が花いっぱいになって、紫、赤、ピンクと、それがものすごく素晴らしいんです。たまたま、私はその近くに住んでいるので気がついたんですけれども、多分、小鳥沢に住んでいる人でも知っている人は少ないと思います。こういう情報もやっぱり知らされていない。
 花を見て、素晴らしいと思った瞬間、この後のメンテナンスは一体だれがやるんだろうなということを考えました。私は町内会の総会に毎回出るような真面目な住民ではないので、既に町内会のほうに「今後はこの整備は地域のみなさんでお願いします」というような話がきているのかどうか疑問に思ったんですね。
 小鳥沢団地内の公園はみんなで草取りをしたり、清掃事業はやっているんですけれども、土手の花は、来年以降、種が落ちて、またきれいに生えるのか、雑草だらけになるのか、どうしていくのか、考えさせられました。
 ダムの周辺は整備をしていただいて、とてもきれいなんですが、ダムのほうもそろそろ土が貯まってきて取り除かなければいけないということも聞いています。公園の整備の前にダムの土を取り除くほうが先決で、そちらのほうにお金がかかるのではないのかとも思います。それにせっかく公園をきれいにしたのに、ダムを整備するためにそれを掘り返すということになるのであれば無駄になるのではないでしょうか。
 計画の全容を一般的に随時公開して、今一番何が必要かということに、エネルギーとお金とみんなの意見を集中させるべきなのではないかと思います。
 もう一つは、公共事業に「対処療法」が多いなということを感じています。ここに問題が起こっているから、これを造ろうとか、ここを活性化したいから、こういう建物を造ろうということが多かったのではないかと思います。もっと根本的な解決を考えてやってほしい。
 例えば、川がはんらんする土地であったならば、本当はそこに人が住んではいけないんです。そこの住民と相談して、移住をすすめるための他に土地や建物を購入するお金と、ダムを造る(その後のメンテナンスも含めた)お金と、どちらが安いのかということを計算してみるべきだと思います。
 「ここはあなたたちの先祖代々の土地としてこのまま保存しましょう」と、その土地を買い上げることは考えられないのでしょうか。そして、そこの住民に安全な土地に移住してもらうことこそが本当の根本解決につながるかもしれない。
 対処療法をやめて、住民を巻き込んでみんなで考えて根本を解決していかないと、すごく無駄が出てくるし、反対も出てくる。そうすると、別なエネルギーがかかると私は感じます。
 司会 二人の話の中身も含めて中山さんお願いします。
 中山 土木部長の中山です。小島さんが経済活性化の視点について出されましたが、私も同感です。必要なものを造っているのであって、経済に関係なく造るべきものを造っていくべきだと思うます。どうも経済対策ということが強調され過ぎているように感じます。経済対策ということは否定はしませんが、むしろ必要なものが欠けているので事業をやっている。昔のアメリカのケインズ政策みたいなのは、今はちょっとなじまない。そういう時代ではないのではないかと私は思っています。
 「経済生活」と「暮らし」を分けるべきというのはいい意見だと思います。これが一番大事なことなんです。都会の人からみると、田舎への公共投資は効果が薄い。経済効果だけを考えると大都市中心になってしまう。「暮らし」の方に力を入れるべきではないかと私も思います。「暮らしの視点」という手法をどう生かしていくのか、建設省や大蔵省にどう説明していくかですね。
 白砂さんはかなりいろいろな意見を言われました。まず、「分からない」ということでした。一番問題だと思うのは、役人用語だと思います。
 議会などの答弁で「極力努力します」という言葉が出てきます。「極力」という言葉をつけるということは「がんばるけれども、もしかしてできません」という場合が多い。どちらかというと、できない可能性の方が強い。
 それから、「検討する」です。これは大阪の用語だと、「やらない」ということですけれども、「検討するけれども厳しいですよ」という意味です。
 私が一番嫌いなのは「遺憾に思う」です。本来、「申し訳ございません」と謝るべきだと思います。私はそうしています。「遺憾に思う」というのは人ごとなのです。自分の身内ですから、責任を認めないといけない。
 それと、横文字が多い。例えばアカウンタビリティという言葉がこのごろよく出てきます。説明責任ですね。漢語をやたらに使う。われわれも勉強しなければならないんですが、特殊用語を使いすぎている。これは、情緒的にイメージで流したいということがあるのではないかと思っています。特殊な用語を使う場合には、説明をすべきだと思います。
 それから、「住民が反対しているものでも途中でやめないのではないか」ということについてですが、バックする勇気がないわけではありません。もちろん、バックする方が大変です。しかし、バックしないというのではないのです。
 例えば、岩手県では二年前にあるダム事業を休止しました。その代替えの施策を考えることなどに二年間かかりました。進めようという時には力がありますが、後ろ向きの時はどうしても元気がでないですから時間がかかります。
 それから、情報公開の話が出ました。情報公開は最近かなりやっています。情報公開で困るのは途中の情報なんです。途中の不確定の情報が流れてしまうと困る場合がある。例えば、有珠山でも、三宅島でも、その情報でパニックになってしまう。われわれはある程度信頼できる情報を出したいので、そういったことで、途中段階では出さないという場合はあります。後にはオープンにするわけですが、途中段階では皆さんに迷惑を掛けないように公開しない場合もあるんです。
 メンテナンスの話も出ました。これは重要な問題です。造ることはわれわれはできるのですが、花壇でもなんでも地元の人たちの協力が欠かせません。今、一番問題となっているのは、河川整備でコンクリート護岸をやめなさいということで、多自然型の川づくりをやっています。コンクリートに比べると非常に弱いんです。ゴミもたまりやすいので、黙っているときたなくなる。われわれだけでは人手も足りないし、お金もかかるので、ぜひ地元の人たちにお手伝いをいただきたいのです。
 最後に、対処療法の話がありました。土砂崩壊で昨年も人が亡くなっていますが、危険区域に住んではいけないという法律をつくるという話があります。今住んでいる人に出ていってもらうというのは難しい。その人たちに、ある程度お金を出そうと思っても、一〇〇%出せるかというとそうでもない。そういう場合の解決策はなかなか難しい。民間ではできることでも役所ができないこともある。でも、いい話なので参考にさせていただきたいと思います。
 白砂 これは実はテレビの特集で見たのです。アメリカはそれをやっているということでした。川がはんらんすると分かっている土地と家屋を国が買いあげ、別の場所に土地と家を建て移住させる。
 中山 アメリカの国力や国土の広さもあるでしょうから、一概には言えない。アメリカにはフィーマという組織がありまして、地震、台風など大災害にはすべての権限がそこに集中されて、すべてのことができる。その時は、大蔵大臣なり、建設大臣になれる。予算を含めた権限が与えられて、災害対応を行っています。



■公共事業の中での住民参加の位置付け

 司会 二つ目のテーマとして、「公共事業の中での住民参加の位置付け」ということで話を進めたいと思います。今の話の中でも一部触れられているので、重ならないように発言をお願いします。
 先ほど横文字が多いという話がありましたが、県では今年度からパブリックコメント制度を導入しましたし、アカウンタビリティの向上という方針も示されています。住民の意見を聞いて事業を進めていくという取り組みも少しずつ出てきている。昨年の十月に起きた軽米町の災害の復興に向けても住民参加の手法が取り入れられたり、各地でワークショップも進められています。それらの行政の動きも含めて、中山さんから紹介していただいたあとに、住民の立場から現在の公共事業の中での住民参加が十分なのかどうか、現状をどう見ているのかを小島さんと白砂さんにお話いただきたいと思います。
 中山 住民参加の取り組みは従来にもあったのですが、関係者が限定されていました。例えば、土地を譲っていただける地権者の方とか、逆にぜひ道路を造ってくれという同盟会の方とか、絶対造るなという反対の方々、建設業界の人たちにも応援をいただきました。このように限定的な住民参加でした。
 今は、もっと広くなってきました。自然体で住民参加をしていただけることが多くなりました。一番自然体でがんばっておられるのはNPO、自然保護の方々です。それから、地権者だけでなく、近所に住んでいる地元住民の方々にも参加していただいています。マスコミの方もいろいろな視点で紹介していただいくという点で参加しています。「おもしろいじゃないか」と自然発生的に飛び入りで参加する人もいます。
 従来から、環境アセスメントというものがあって、意見書を皆さんに縦覧して意見をいただく、都市計画決定の時に意見をいただくということがありましたが、手続きとしてやってきたわけですが、限界があるんです。それで、パブリックコメントという制度を実施することにしました。もう一つ、パブリックインボルメントというものもあります。
 国道4号を北に向かって分かれにいく途中に茨島という所があります。二車線しかないので、盛岡近辺でも有数の渋滞個所です。あそこを四車線化しようという計画は二十年前ぐらいからあったらしいのですが、立派な並木があってどうするのか困っていたのです。二年前ぐらいから、それをどうしようかということで、住民も入れてルートを決めようではないかということで、建設省が主体となってやっています。
 それから、昨年災害を受けた軽米町の話です。これもパブリックコメントとかインボルメントになるのではないかと思うのですが、これは自然発生的なんです。われわれもやらざるを得ないと思っていたのですが、むしろ地元から「川を広げてくれ」という話がありました。ただ、「町が廃れないようにしていただきたい」という条件が提示されました。
 もちろん、川幅が二倍になることで移転される地権者の方もあるのですけれども、町の形態が変わってしまう、人の流れが変わってしまうという心配もあり、そういうことを頭に置いて直していただきたいということでした。それと、そんなに数は多くないようですが、白鳥がくるということで、そのための空間を残してほしいというような要望も出されています。
 これについては、県も入って打ち合わせをかなりやっていますし、シンポジウムなんかも二、三回やっています。これらの成果もあって、かなりいいものができつつありまして、方向が出ましたら、地元に提示したいと思っています。あと四年ぐらいでやらなければならないので時間が限られていますが…。
 小島 最初の土木部長のいろいろなお話を聞くと、ずいぶんきちんとした問題意識を持っていらっしゃって安心しました(笑い)。住民参加ということですが、本来は住民が参加するのではなく、住民が主体ではないのかと私は思っています。
 パブリックコメントについて県のホームページを見たら、非常に分かりづらくて理解ができない。堅い言葉が書いてあって、これではパブリックコメントといってもポーズだけなのではないかと感じます。
 私の尊敬する内山節という哲学者がいます。彼は「これからの行政は遂行性で動くだろう」と言っています。業務の遂行性です。要するに住民からの声を聞きながら、やりやすい方に、やりやすい方に行くという動きが出てきているのかなと思っています。
 増田知事もよく言っていますけれども、県民が主役なんです。「県民が社長なんだ。上の方ばかり向いて、県民を忘れるな」ということです。それをやるには、県民に分かりやすい言葉で語りかけなければならない。
 茨島の話が出ましたが、そういう話がされているということはあまり聞いていません。あの並木道をどうしたらいいのかをもっと広く、多くの意見を聞くべきではないかと思います。
 住民の意見を聞くというのは、手法の問題があると思います。どういう手法でやっていくのか。東京都では、ダイナモと言って、メーリングリストの中でいろいろな議論をするというようなことをやっています。東京都内の一部のパソコンを持っている人だけがやれることですが…。
 また宮崎県に綾町という町があります。有機農業の里ということで有名です。ここは最初八千人の住民が四千人になってしまった。何も産業がないので、夜逃げをする。「夜逃げの町」と呼ばれた。そこで新しくなった町長が住民に野菜の種や苗を配り、一坪家庭菜園運動をやった。
 だんだんにいろいろな野菜が採れ始めた。今度は野菜を交換する場所を設けた。家庭菜園ですから、農薬とか化学肥料は使っていない。町は一日二回、生ゴミを集めて、堆肥化して町民に配った。一坪菜園がどんどん大きくなって、交換場所には町外からも買いにくるようになった。そして有機農業の里という名前が知れ渡って、県内外から年間百五十万人の人たちが訪れるようになった。町民の暮らしをいかに豊かに生き生きさせるかということが、県内外からも人を呼ぶような結果になったのです。経済の活性化を目的にしたわけではないのです。
 その根っこにあるのは、自治公民館運動です。町長が一つ一つの部落の公民館に住民を集めて一生懸命に話をした。それをずっと続けていった。自治体によっていろいろな違いがあるとは思いますが、どういう手法で住民の意見を吸い上げるのかです。地域によっても違いがあると思いますので一概には言えませんが、手法の問題をきちっと議論していかなければならないと思います。
 白砂 私は松園の自然公園を守る会というのに少しだけお手伝いをしています。小川が流れていたり、トンボがいる沼があったり、自生しているサクラソウがあったりと、ちょっとした自然公園があります。そこを整備してくださるということで、一年前くらい前に、(公園内の)地図をみて、どこにどのように散策ルートを造るか会で考えました。
 会では、保存したい場所とか、直してほしい所とかを考えて、県にお願いしました。いざやる段になったら、精密な図面を持ってきて道路に広げて説明していただきました。そして、実際に場所を見ながら説明を受けました。そこは自然公園ということで、みんなで一生懸命意見をだしてやっていたんですけれど、少しはずれた所はバッサリ木が切られてしまったんです。
 娘がエコクラブというのをやっていたんですが、四十四田の湖面にものすごくゴミが貯まって、あまりひどいと言って小学校六年生の時に友だちと一緒にその辺のゴミを拾ってきたりしていました。そこはシカが出る所だったんです。友だちと久しぶりにそこに行ったら、シカを観察しているおじさんに偶然出会って、「ほら、あそこにいるよ」と言って見ていたら、五十△發覆いらい目の前をシカが横切っ行ったというのです。そのときは「すごく感動した」と言って帰ってきました。
 木を切られたのは、そのシカが出た場所だったんです。娘はそれを見て、「お母さん、あそこにシカが居たのにもう来ないね」と言ったんです。ゴミは取ってほしかったんですが、その場所をもう少し保存しておいてほしかったと思いました。力の入れ方がいろいろ違うんだなと感じました。
 住民参加というと、「何かやるよ」と言われて、関係者の人たちが集まってきてやっているのが現状ではないかと感じています。自然公園をきれいにするという情報も町内会に流れているのかな、という疑問もあります。「今、整備に取りかかっていますよ」というような回覧も回ってきていないように思います。

■住民、市民に受け入れられ、地域に支援される公共事業とは

 司会 三つ目のテーマに入ります。公共事業といっても、国も地方自治体もかなり財政状況が厳しくなってきている。六百兆円を超えるとも言われていますが、借金づけの状態になっています。そういう中で、公共事業を進めていくうえでは、費用対効果などを考えて、事業の重点化、効率化ということにだんだんなってくると思います。円滑に事業を進めていくうえでも、住民の支援がないとうまくいかなくなるような気がします。
 公共事業を進めていくうえで、住民に理解してもらったり、支援してもらうことが行政としても重要になってくる。今、行政としてどんなことを考えているのか、その辺について中山さんにお話しいただきたいと思います。それから、住民の立場として、これからどんな公共事業であってほしいのか、どのようなやり方をしてほしいのか、その点について小島さんと白砂さんにお話しいただきたいと思います。
 中山 昨年、道路をこれから十年ぐらいでどう整備していくかのプログラムを発表しました。県もかなり各地域に行って意見を聞いたんですが、もっと地元の意見を聞きながら進めていくということで、パブリックコメント、インボルメントを実施しようと思っています。
 やり方は、本庁というのではなく、十三地方振興局、土木事務所で年に一つから二つを対象にしたいと考えています。行政側が意思表示している所について、本当にいいかどうかということを聞いていくということです。焦点をしぼってやっていきたい。
 対象住民の範囲ですが、主体はそのプロジェクトのある市町村の住民としたいと思っていますが、参加を希望する人はそれ以外でも入れたいと思っています。
 どういう手法を使うかですが、例えばインターネットはまだ持っていない人が多い。インターネットも当然使うようにしたいと思いますが、ルートに関係あるような自治会の方には住民に行き渡るような形で考えるべきだと思います。それ以外でも興味がある方には、必ず伝えられるようなやり方を考えようと思っていますが、今のところまだ具体的になっておりません。どういうふうにやるのかというのは、まだやってみていないので分かりませんが、定着させるようにがんばっていきたいと思っています。
 それと、決まっている仕事はすべて数字で評価しています。そうすると、おもしろいバラつきがあります。いろいろな計算の手法があるんですが、まだ中で検討を要するので外には出せないんですが、いずれはこういうものもオープンにすべきだと思っています。かなり煮詰まってきていますが、今のところはまだ外に出せるような状況ではありません。
 問題点は、同じようなプロジェクトは比較できるのですが、例えば他県、東京のプロジェクトと比較するとか、同じ地区でも道路と川でどちらがいいかとか、そういうことまではまだ考えていません。そういうことができればすごいことですが、まだ、そこまで統一した手法はないんです。岩手県内の各地域でどうかという比較をするのですが、盛岡の近辺が点数が高くなるのではないかという心配はあります。それでもやらなければだめだと思いますが、その位置付けをどうするかも将来的に考えなければならないでしょう。
 小島 住民の考えにはバラつきがあります。いろいろな想いがあって、それをまとめるのは難しい。高速道の盛岡インターの近くに大きなスーパーができるというので、農地転用の問題がありましたから、意見書を出したら、公聴会で採用されて、私の意見が読み上げられました。十数通出された中で、反対は私を含めて四、五通ありました。基本的に議員とか、こんなことを言ってはいけないのかもしれませんが、お金で動く人たちがたくさんいまして、農地転用が認められて、非常にがっかりして、残念に思っています。
 多くの人は経済の中でものを考えている。「少数の意見の中に真実がある」とよく言うんですけれども、少数の意見をきちっと聞けるような形にならないかと思っています。
 住民の意見を聞く手法といっても、情報がなかなか出てこない。行政はこれからコーディネーターの役割を果たしていかなければならないと思いますが、これを造るとどういうメリットがあるのか、デメリットがあるのかを明確にしていただきたい。住民サイドからも、こういうデメリットがあるという話が出たりすると思いますが、議論を積み上げていくことが必要ではないかと思います。
 どうしても、行政サイドの説明だと、いいことしか書いていません。メリット、デメリットをきちっと明示することで、住民に身近なものになると思います。「そういうデメリットがあるのだったら、こうしたほうがいい」というように住民も考える。基本的には、問題意識の共有だと思います。住民が目先の現象だけでなく、暮らしの中でまちづくりや道路、川をどう考えていく。どんどん議論を巻き起こしていくことが重要です。
 先ほど部長がどういう手法でやるかはいろいろと検討しなければならないと話していましたが、公務員も住民なんです。公務員が暮らしの中の住民としてどういう意見を上げていくかということ、それがまちの活性化につながるし、本当の住民の意識喚起につながるのではないかと思います。
 私自身は、組織と人というものをきちんと分けています。組織が組織のための組織になってしまう。県庁の職員でも、どうしても県の組織のために働かなければなりませんが、人として、住民として考えることで、柔軟な発想ができるのではないかと思います。
 私は、農政部のいろいろな人を知っています。公務員というのは何をやっても悪いことさえしなければ首にはならないと、「やりたいことをやるんだ」という人も知っています。五時までは公務員だけれども、五時以降は市民だからと、地域のみんなと一緒に活動し酒を飲むという人もいます。土日はゴルフやパチンコをやっている公務員も多いと思いますが、ボランティア活動を一生懸命やっている人もいる。しかし、ボランティア活動をやっている人は、なぜかなかなか評価されない。
 もしかすると、公務員という職種の人が一番人数的には多いのではないか。公務員が地域の住民として、問題意識を盛り上げていくことが必要ではないかと思います。
 白砂 受け入れる住民サイドのほうも意識がないような気がします。だから、形になってきた時に文句を言うというようになっている。住民の意識も変わっていかなければならないと思います。
 それから、先ほども出ましたが、行政は横の連携がないと思います。私は、観光計画策定のプロジェクトに市民の一人として参加させていただいたことがあります。「市民として観光を活性化する意見を出してください」ということで、集まったメンバーで話し合いをしました。 たくさん提案がありました。たとえば盛岡は川に阻まれていますので、橋のところや線路のところで交通渋滞が起こる。今後、もっと車が増えていくと主要幹線はすごく渋滞する。だから、バス路線を利用しやすくしたり、観光掲示を増やしたり駐車場を整備したり、市内循環バス(現在は市内循環バスが走っていますが)を走らせたらいいのではないかというようないろいろな提案がでました。
 それを観光課の方でまとめて「こういう観光計画(プラン)があります」というと、他の課から「うちの課の担当なのになぜ観光課が口を出す」と言われるらしいのです。盛岡市全体を良くするにはこれではだめです。
 それから、先ほど、四十四田の自然公園の話をしましたが、図面を見せて、整備の計画をていねいに説明してくれたのは県の方だったんです。ただ、そこは県の土地のほかに市の土地もあるんです。県の土地についての整備については県で説明してくれたのですが、市の土地については「市」が担当する。「ここは市の土地ですから」と言われても、住民からすると、同じ一つの場所なのです。
 こんな現状だからこそ公共事業をやる場合に、そのプロジェクトの窓口をつくってもらえたらと思います。住民が聞きに行っても、どんな問題でもすぐに答えが返ってくるというように。建築でも何でも、関係するメンバーが揃っていて、対応がすぐにできるようなプロジェクトチームを組んで、もっと住民の目で仕事をしてもらえたらいいと思います。
 昼休みしか行けない人もいるから、昼休みも窓口を開けておくとか。県でも、市でも、市民へのサービスが最大の仕事だと思ってほしい。公共のものは、みんなが分かりやすい、参加しやすい、ことが今後とても大切だと思います。かかわる住民の意識も変わらなければならないが、行政も意識が変わらないとだめだと思います。


■住民と行政、専門家のパートナーシップ

 司会 四つ目のテーマに入ります。これまでの話の中でも、住民と行政の関係は変わってきているし、変わらなければならないという話が出てきました。どうしても今までは、行政が計画を立てて、住民が追認せざるを得ないとか、あるいは反対して対立関係になることが多かったと思います。「お上」意識も根強いものがあります。
 これからのことを考えると、できるだけ対等なパートナーシップを作り上げていかないと、難しい時代になると思います。とは言っても、果たして対等な関係というのは作れるのだろうか。そのためには、何が必要なのか。そこら辺の話をしていただきたいと思います。
 中山 その前に先ほど出された意見について話したいと思います。まず、少数意見を反映させるということが出ました。いわゆる奥産道の問題がありました。当初、「継続しなさい」というのが圧倒的で、「止めなさい」というのは少数の意見だったのですが、その後の総合的な検討の結果、工事の再開を断念したんです。それは、時代の流れや自然の代弁する人の数、草や虫は声を出すわけではないですから、地球の生態に対する考えということもあったと思います。
 人間の総重量は、地球の動物の四分の一以上になっているというんです。そして、ますます増えている。恐竜が滅びたのとは違うかもしれませんが、少し危なくなってきているのではないかという考え方もあります。人間だけが自然のすべてではありませんし、自然のバランスみたいなものもありますから、環境に関しては少数の意見でも大事にしなければならないと思います。
 それから、メリット、デメリットの提示です。メリットに関しては、もちろんわれわれは出していますが、デメリットについても出していく必要があります。一番問題なのはダムです。ダムには、利水と治水の役割があります。どんなに洪水になっても、全部貯めるということはない。百年に一回の洪水のために取っておく部分がある。小さい洪水の場合には全部を使わない。
 そうすると、一関の人は、何回も水害に遭っているので、ダムに不信感がある。「まだ、余裕があるのになぜ使わないのか」と言う。大きい洪水では全部使うけれども、小さい洪水では半分も使わない。これには理由がある。次に大きな洪水がきた時に、貯めたままでは間に合わなくなるので、それを想定して余裕を持たせている。しかし、これもデメリットの一つで、考え方を変えて、もう少し対応の仕方を直すということで考えています。とはいっても、一〇〇%は使えませんが。昨年から、試験をやっています。
 道路にも結構問題があります。例えば、バイパスを造ると、これまで道路が通っていたところがさびれる。「本当にいいですか」と聞かなければならない。全部バイパスのほうに流れると、商店街が厳しくなる。これも、デメリットと言えるかもしれません。当然、「商店街に人が来なくなる」と反対の人はいますし、きちんと住民の意思を確かめなければなりません。
 「公務員も住民である」という話もありました。案外、公務員で住民だと思っていない人もいるかもしれません(笑い)。私は、土日には河川だとか、道路のことは考えません。違うことで、住民だというふうに思っています。自分の仕事に関係なく、地域住民として近所の集まりだとか、ゴミ掃除だとか、違ったことで住民として参加すべきだと思います。
 横の連携についても出ました。公務員は二つの権限で仕事をしている。一つは法律、もう一つは予算です。さっきの白砂さんの経験したことは、「私には権限がある。金もある。だから、おまえらは黙っていろ」ということなんです。しかし、これはもう全然流行らないんです。
 岩手山とか、阪神淡路大震災の時に、これはすべて崩れた。お金があってもできないことがある。例えば、阪神淡路大震災の時には、建物が崩れてどうにもならなくなった。それを撤去しようとした時に、法律的にはその建物の持ち主がやらなければならないが、それを待っていると復興が進まないから、道路とかに見なして全部国でやった。そうすると、ゴミでもなんでも全部、道路に出してしまう人もいたようです(笑い)。それでも、すべて撤去した。超法規的に国がやった。危機的な時はそういうことをやるのですが、ふだんはやっぱり堅いです。
 今、一番問題になっているのは、法律がなくてもやらなければならないことです。一番弱いのは火山です。岩手山の勉強をしたのですが、助けられる法律がほとんどないんです。いろいろなことを考えてみました。例えば、マップを土木部で作ったのですが、土木部で作らなければならないという法律は何もない。それでも、なんとか他の事業に読み替えて作った。そういうことをやって、文句を言う人はいない。
 だから、自分のところに関係なくても、やらなければならないことがある。いいことであれば、他の部署からは問題は出てこない。防災関係は総務部の権限ですが、今回一緒にやって、特に問題はなかった。
 小島 大変ていねいに答えていただいて有り難うございます。私の友人で盛岡市役所に勤めている人がいますが、「市役所で盛岡市のことを考えている職員は二割しかいない。県庁はもう少し多いかな」というようなことを言っていました(笑い)。
 三重県の北川知事は「公務員が住民という市民感覚を失ってしまったら、本当の行政はできない」ということを言っていますが、公務員も一市民として、いろいろなボランティア活動とか、地域活動に参加することが必要ではないかと思います。行政とのパートナーシップといいますが、行政と言う組織にはいろいろな問題点があります。先ほど出ました縦割りのシステムとか、いろいろな問題がある。それを問題意識を持っている公務員は知っています。知っているのだからこそ、行政を離れた地域の一市民として住民運動の中で解決していく努力をしてほしいと思います。
 先ほど、部長が「法律と金」と言いましたけれど、法律を守るということは大切だと思いますが、法律を超えたところに人間の生き方というものがあるのではないかと思います。阪神淡路大震災の時に、もう少し居る所がずれていたら、冷蔵庫の下敷きになって死んでいたという人がいました。その人は、それまでは近所づきあいがなかった人たちが、行政の機能しない中で、一緒になって水くみをやったり助け合うことで、「人の有り難みが本当に分かった。もう物はいらない」というようなことを言っていました。五年たったら、だいぶ変わってきたみたいですけれど(笑い)。
 人と人との心の交流や暮らしを通して、地域のみんなで考えるというような共同参画意識を作らなければならないし、行政というのは、その後からついてくるべきものではないかと思います。そういう形になっていかなといけない。行政と市民は、代官様と水呑百姓という関係ではなく、公務員も市民もすべて対等の県民であるという意識で、どう自分の地域をつくっていくかだと思います。それぞれの地域で考えて、それを行政と言う組織がバックアップするというようなスタイルにならないといけないと考えます。
 先ほど、メリット、デメリットについて議論を盛り上げるということを言いましたけれど、今の社会におけるメリット・デメリットではなく、これからどういう社会を作っていくのか、それに対するメリット・デメリットの議論でなければ意味がないと思います。そう言う意味では、これからの社会がどうなっていかなければならないのかということを、みんなでもう一度考える必要があるのではないかと思います。岩手の豊かさとは、本当の豊かさとは何なのか、これからの社会はどうあるべきか、ということを常にいろいろな人たちと話し合える場がなければ、暮らしのことを考える地域の仲間というのはできないのではないか、と思います。
 内山節さんが「これからは多様な価値観の時代で、社会の中でいろいろな価値観のグループがいっぱい出てくる」という言い方をしています。ですから、岩手県でも、盛岡市でも、いろいろな市民団体、ボランティア団体がいっぱい出てきています。それらが縄張り争いをするのではなく、お互いに存在価値を認め合いながら共存していくというような時代ではないかと思います。今までの拡大経済社会の中では組織の発展が社員や組合員の為になると言う発想で、組織の権益を守ろうする。結果、だんだんに組織のための組織になってくる。農協もしかり、生協でさえもそうです。今はやりのNPO法人も、法人格を取得するとそういう形態になっていくだろうと思います(笑い)。
 私は、「身土不二いわて」という会の事務局をやっています。「身土不二」と言う言葉は、東洋の食哲学では「その土地で採れた物を食べることが体に良い」という解釈です。その語源は1200年ごろの仏典に出てきますが、仏教では「その土地と人というのは一体のもの」というような意味合いであります。ものすごく奥深い言葉です。これを考えていくと、今の社会の問題は「身土不二」で解決するのではないかと思うんですが、それぞれの地域の人々が地域の中で、その地域のことを考えていくことが大切ではないかと思います。中央から指示された施策を黙って実行する行政であっては困る。その地域に合ったまちづくりや暮らしを考える行政でなければ、市民とのパートナーシップはとれないと思います。また、行政が変わろうとするなら、行政に携わる人間が市民の立場にならないといけない。そうでなければ、市民との本当のパートナーシップはつくれないと私は思います。
 白砂 市民のレベルということはすごく大事だと思います。これからは「人」だと思います。どこだったか、中学校で「親父の会」を作って、今までPTAに参加していなかった親父たちが、社会でいろいろなことを見てきている親父として「ここの地区で何ができるか」ということを考えて動き始めたというのです。こういう動きが大事だと思います。
 県庁内でも、みんな親父なわけですから、五時、六時に帰らないで、部署に関係なく集って、「こういう盛岡にしよう、こういう県にしていこう」というような夢を語るみたいなものが横軸をつくるためにもあってもいいんじゃないかと思います。
 パートナーシップについては、私はおもしろい経験をさせていただきました。講演会とか、映画の自主上映をいくつかやったのですが、三つのパターンでやってみて、集まった人たちの意識が全然違うということがありました。一つは「事務局制」、次に「出資者制」、もう一つは「実行委員制」です。一番効率が悪かったのは事務局制でした。今のお役所に近いです。一番効率が良くて、パートナーシップでやれたのは実行委員制でした。
 なぜ、そういう違いが出てくるか考えてみたんですが、事務局制だと、やるかやらないかを事務局で決めてしまうんです。日程から、場所から、費用から、すべて数人の事務局で段取りしてしまうんです。そうして、ポスターなどが出来上がってから、「すみませんけれど」と周囲に協力をお願いしていくんです。そうすると、頼まれた人はつき合いで受けてはくれるんですが、たいへん動きが鈍いんです。
 出資者制では、企画を立てるのに、これだけのお金が必要だということを試算して、それを頭割りする。これぐらいの人数で、と一人当たりの出資額の見通しを立てる。そうすると、たとえ企画が失敗しても補てんができます。リスクがないのです。まず赤字になることはないというメリットがあります。ただ、参加する人の意識にバラつきがあって、日本人が得意な「金は出すけれど、顔は出さない」というような状況になるんです。
 実行委員制は、「この指止まれ」なんです。そうすると、意識のある人たちが集まる。集まった人たちの意識が高いうえに、自分の得意分野を受け持ち、持っている人脈を動かすわけです。そうすると、ものすごく動きがスムーズでむだなエネルギーを使わなくて済むんです。もう一ついいことは、企画自体、必要なのかどうか、やるのかやらないのかを集まったメンバーで一から話し合うことです。ですから何か問題があっても、みんながやろうとしているから、責任を分担して一斉に動くことができます。
 先ほど、土手に花が植えてあった話をしたのですが、この維持管理を地域住民自身が、「やります」ということになれば、名称を名付けたり、整備清掃も自分たちで一生懸命やろうとするけれども、上からやってくださいとなると、動きが鈍くなってしまうような気がします。
 そう考えると、公共事業は最初から住民が関わることが大事だと思いますし、そうでないにしても、見直しの時期に住民を交えて話し合うことが必要だと思います。
 事業を後退させることは難しいという話がありましたが、後退ととらないで欲しいです。必要ないと認めた事業については「出来上がったものをどうする,どう責任をとる」と言う観点にとらわれないで、むしろ「見なおし、改善」と取ってほしい。「同じ資金をもっと有効に使って県内を活性化するよう生かしていく」というように、より積極的に次の計画に推移して欲しいと一市民として思います。

■会場からの意見

 司会 会場からも発言していただきたいと思います。もし、土木部長に質問があれば、それにも答えてもらえると思います。
 丸山(建築家) 私は地域計画とか、建築設計をやっていますので、仕事を通していろいろ考えていることがあります。今、県では公共事業でワークショップという形態や情報公開をして住民参加でやろうという動きが出てきた。しかし、われわれが住んでいる町村レベルではなかなかそうはなっていない。
 私は大迫町に住んでいます。元々は、東京でゼネコンに勤めていて、業界団体とか、役所との関係とか、そういうことに嫌気がさして、足を洗って今はフリーで仕事をしています。
 七年前に大迫に来ましたが、大迫でもいくつかの公共事業がやられている。町内に橋を架けようとしているのですが、住民の立場で、町に対して「あの橋はどういう橋になるのですか」という質問を七年間しているのですが、答えが返ってこない。県立病院も造り始めているのですが、「どういう形になるのですか」と聞いても、「まだ分かりません」と言う。
 なぜ、分かりませんということの理由は、「県の事業なので町では答えられない」ということです。県の事業でも、町に建設され、町民が利用するわけですから、住民は町と対応せざるを得ない。県の人にそういう話をすると、「県は町からの意見を待っている」と言う。県と町は仲が良いのかもしれないが、町民だけがつんぼさじきに置かれている現状があります。
 情報公開や住民参加については、県はかなり進んできているのかもしれませんが、町村レベルの意識が変わっていかないと困る。そこが最も重要だと思います。
 せっかく、土木部長がいらっしゃるので要望したいのは、地方振興局に対しての指導だけではなくて、もっと末端の町村まで、ワークショップなのか、具体的な手法は別にして、住民の声を聞く多様な場づくり、システムづくりを一つの業務命令みたいな形で、例えば「一、二年の間に計画を立案しなさい」というような指導をお願いしたいと思います。それをやらない限り変わっていかないではないかと思います。上からの力には弱い世界ですから。
 中山 今の話ではなくても、町村は人がいないので動きが悪いということはいろいろなところから聞こえてきています。今までは指導できたのですが、ところが法律で対等なパートナーシップということで、意見を言ったり、情報交換していくしかない。われわれも町村を応援していかなければならないとは思っています。
 私も最近、町村にいろいろなお願いに行っています。今の話もそうですが、建設業の話とか、特に下水道がなかなか進まないので、その促進をお願いしに行っています。全国でも下から数えて十番目ぐらいと遅れているのですが、後回しになって、なかなか進んでいません。
 丸山 四番目のテーマと関わってくるのですが、行政はいろいろなノウハウ、お金や組織を持っている。計画するバックボーンは、コンサルとか、いわゆる業界に資金を与えて計画を立てたり、事業を興していく。一方、住民側は個人的にはノウハウを持っている人もいるし、意識の高い人もいるけれども、基本的に力がない。
 ある公共的な事業を興すときに、行政と住民を中間的に結ぶ、パートナーシップの接着剤みたいな形になるものが今はないのではないかと思います。対住民となった時に、よほど質が高い、目覚めた行政マンがその地域のプロジェクトの担当にならないと、本当に住民の声を聞きながらやっていくスタンスは採らない。
 今、東京の世田谷ではファンド、公社組織で、建築家やプランナーなど専門技術者を入れて、中間的な立場で、行政と住民の間をつなぐようなグループができてきています。岩手でも市民レベルで力を持った集団の立ち上がりを待たない限り住民参加ができないのであれば、半官半民的な、中立的な機関であってもいいのですが、ノウハウを持っている専門家をプールしておいて、要望があればコンタクトを取れるような、そういう機関を作られたら良いと思います。本来は、住民、民間レベルでやるべきことですが、こういう中山間地にはなかなか育ちにくい。そうであれば、行政の力が必要になる。そういうことも検討いただければと思っています。
 中山 今の点ですが、建設省の岩手工事事務所に地域づくり相談室というものがありますが、地方振興局にも同じようなものをつくっていければとは思っていますが、少し研究してみたいと思います。
 司会 他に何かありませんか。
 佐々木(コンピューターソフト会社経営) お話を聞いていて興味深い点がいくつかあったのですが、その中でインターネットに接続している人口はまだ少ないという発言がありました。今は確かに少ないかもしれませんが、すごい勢いで増えている。インターネットは、住民、市民サイドでも大変大きな武器になっていますが、行政からみてもすごく使える武器だと思います。何のための武器かというと、行政と住民が協同していくうえのです。
 県の公共事業の中で、ある部分は明確に公開していこうという方向で、県のホームページの中でもある程度情報が公開されてきているということは実感として分かります。さらにそれをどういう形で進めていくのか。情報を出すだけではなく、それが分かりやすい形で示されなければならない。
 例えば、先ほど国道4号の松並木の話が出ました。そこに住んでいる住民だけでなく、あの道路を通る人、通ったことのある人というのは、ものすごくたくさんいます。だから、あそこを利用する人たちの意見は広範にわたると思います。
 私は学生時代、日本全国をあちこち回りましたが、あそこの松並木みたいな風景というのはない。貴重な場所なんですから、もっともっと多くの意見を吸い上げる努力をすれば、むしろ行政側もどんどん楽になっていくのではないかと思います。抱え込んで悩まずに一緒に考えていく場を作っていくことが今後の課題だと思います。
 それと、小島さんがこれからどういう手法で住民の意見を反映させるかということについて発言されましたが、その上の次のステップをどう考えているのかお聞きしたいと思います。
 小島 手法はいろいろあると思いますが、それは地域で考えるべきことだと思います。パソコンが普及しているところではパソコンでやればいいでしょうし、一つだけに限らずにいろいろな手法でやっていくべきだと思います。
 行政はものすごくアンケートが好きで、私のところにもいろいろなところからアンケートがきます。農業研究センター、振興局、国からもくる。各機関がそれぞれめちゃくちゃにやっている。たぶん盛岡地方振興局になると思うんですが、もう少し地域で中心になって意見を吸い上げるような手法が必要だと思います。ただ、吸い上げても、その意見を聞く体制に行政はなっていない。
 少し前に、農政部から産直施設の活性化ということでアンケートがきました。「産直施設が活性化したら、市内の八百屋さんがつぶれてしまう。そうすると、車を持っていない生活弱者、また冬場の生鮮野菜の流通が困るのではないか?」と聞きましたら「いや、うちは農業が活性化すればいいだけです」という話なんです。
 問題は、先ほどの綾町の自主公民館運動とか、東京都のインターネットを使ったものとか、いろいろな手法はありますし、それを複雑に組み合わせても、それを受け取る側の行政の体制ができていないというのが残念なことです。ですから、「ご破算で願いましては」と、一から立ち上げた方がいいのではないかと話したわけです。
 今の縦割りの行政の中では非常に難しい。住民主導型のきちんとした組織ができれば一番ベターだなと思っています。答えにはなっていないかもしれませんが。
 中澤(公務員) 私は盛岡市民として、何かやる時に意見を聞かれたことが今まで生まれて一度もありません。行政に携わっていると、いっぱいやっているような気がしますが、市民としてはゼロです。
 盛岡の交通渋滞の話が出ました。私は市内に車を入れない、あるいは車が渋滞して、通りにくくして、歩けるようにしたほうがいいと思いますが、市民のほとんどは渋滞を解消しろと言う。市民の中でも私みたいな考えの人もいると思いますが、話し合う場がない。住民の意見を言う場がない。本当は市民の側がそういう場を作ればいいのでしょうが、例えば私は今すぐは手を挙げにくいし、めんどうくさい。ですから、行政がそういう場を作る必要があると思います。
 市民は、ある意味ではあまり関心がない。特に盛岡はそうです。関心がないから、意見どうですか、と聞かれても、パッと言えない。われわれは行政をやっているから、一生懸命考えていますが、市民の立場でどうですかと聞かれてもなかなか言えない。市民の中で意見をキャッチボールしているうちに自分の意見も固まる。だから、そういう場をぜひ作るべきではないかと思います。きょうは市民の立場で参加しているのでこういう発言をしましたが、行政の立場に立った時には私も考えなければなりません。
 司会 そろそろ終わりの時間が迫ってきました。これまでの話の中では、行政は変わらなければならないという話がかなり出ましたが、一方で住民も変わらなければならないという話も出ました。住民自身の意識が変わらないと、住民参加ということも成立しないし、対等な関係というものも成立しない。しかも、行政が変わらなければならないといっても、行政を変えるのも住民や市民です。
 公務員も一市民であるから、市民の立場で発言、行動すべきだという発言もありました。一市民でもある公務員が行政に関わる時には、がんばって行政を変えてほしいという期待もあるのかもしれませんね。
 丸山 きょうが四回目のシンポジウムですが、三回目は私が担当して企画しました。その時に、最後に全体をしめくくる言葉としていい発言がありました。「だれが考えてもいいと思うことはだれがやってもいいのではないか」ということでした。
 行政が金と権力があっても、いいことをやっていれば住民は賛同する。市民は反対するから、情報公開をするとめんどうくさい、途中までは秘密にしていたほうがいいという行政の感覚があるのかもしれませんが、市民の側にも自分の利権を犠牲にしてでも、いい環境、いい社会をつくっていきたいという人もたくさんいます。
 そういう人の中には、自分の時間を割いても、いろいろなアイディアを出したり、みんなでいろいろな活動をしたりしている。そういう人には行政もタイアップしてやってほしい。逆に行政がいいことをやっている時には、われわれも参加して、「もう少しこういう考え方もあるよ」と言う。
 行政も住民も、お互いの悪いところをけなし合うのではなく、いいところはほめ合って、いいところをもっと進めやすいように、お互いがお互いを支援するといったようなことがもっと望まれる。そういうことがパートナーシップではないかという気がします。
 中山 役人でも、いろいろな人材がいますので、こういう場に呼んでもらって、公務員の立場でなくて、市民の立場でも、議論することは有意義だと思います。きょうは、参加するのは少し気が重かったんですが、議員や首長さんたちとは違って新鮮でした。視点が違うので、ものすごく勉強になりました。これでまた、いい仕事ができると思うし、充実した土曜日でした。
 それから、これから大学が独立法人化しますので、大学でもいろいろな場を探しています。ですから、大学の先生方を活用するということを考えたらいいと思います。われわれ以上に発言できるし、動けるし、情報も持っている。
 こういう活動をする最低限の実費を確保する道はなんとか開けるのではないかと思います。活動の手当ては何か考えられると思いますので、ダメもとで相談してみたらいいと思います。
 それと、継続していくことが重要だと思います。きょうは誘っていただいてありがとうございました。これからも参加したいと思います。今度はパネラーとしてではなく、一参加者として参加したいと思います。きょうはありがとうございました。
 司会 中山さんに主催者のようなまとめをしていただきました。きょうの話で、行政や公務員へのイメージが少し変わったような気がします。中山さん、小島さん、白砂さん、ありがとうございました。