「未来へのメッセージ」−環境先進国・デンマークから−
 
S.R.A/「風のがっこう」ケンジ ステファン スズキ
日時:1999年12月9日(木)19:00〜21:00 場所:岩手県東山町「太陽と風の家」風のホール
 
目次
 
  はじめに
  1. デンマークが採ったエネルギーと環境政策
  1.1 デンマークがとった環境・エネルギー政策の経過
  1.2 デンマークの環境とエネルギー政策の成果
  1.3 デンマークの環境・エネルギー政策に占める再生エネルギーの成果
  1.4 デンマークのエネルギーと環境政策が生んだ産業
  1.4.1 デンマークの風力発電導入と産業の育成
  1.4.2 バイオガスプラントの社会的意義
  1.4.3 ゴミ捨て場に発生するメタンガスの利用
  2. 日本への提案
  2.1 日本における食糧とエネルギーの自給への提案と疑問
  2.2 未来へのメッセージ
  おわりに
 
はじめに
 
 私の住むデンマークは、国土面積が吸収よりすこし広く、43,000I、人口北海道より少し少ない530万人の国です。氷河期に表土が氷河で削られたために、他界山が無く、一番高い場所が海抜173m、現在国土の約66%にあたる283万ヘクタールが農地になっています。日本の農業に比べ、土壌は砂土で痩せています。
 
 その痩せた農地から者をとるために、1850年代からダルガス親子による植林をはじめ、とどまる事なく、種の品種改良を重ね、穀物を作り、それを餌として家畜を飼育し、人口の3倍に当たる1500万人分の肉類・酪農製品を生産するに至り、その結果、今日10万人の農業人口が輸出する農産品の額は、年間9,000億円にもなり、世界最大規模の農産品の輸出国になりました。
 
 デンマークが生んだ、日本でも知られている著名人には、アンデルセン童話で知られる、ハンス・クリスチャン・アンダーセン、哲学者ではキルケゴール、音楽家ではカール・ニールセン、物理学者のニルス・ボアー、そしてホルケハイスコールを提唱した牧師のグロントビーが挙げられます。これらの国民を生んだ背景には、個人の能力と適正を育て、且つ行動を起こす事のできる、デンマークの教育方針と国の宗教であるキリスト教の慈愛精神から来る“共生”と“協同社会”の精神があると見ます。それが諸外国からの視察団の訪問が絶えないデンマークの社会・福祉政策を生み、また時代の変動に対して常時行動を起せる国民として、エネルギー資源を持たないデンマーク国民は、1972年から73年の“石油危機”の体験をもとに、現在のエネルギー政策を生み、また地球温暖化防止への対策として、環境政策を生む事につながって来たと思います。このデンマークがとったエネルギー政策と環境政策は現在、風力発電産業を生み、バイオガスプラントの設置に結び付いてきました。
 
 私は1991年以来、デンマークの風力発電機を日本に不急させるための仕事をしてきました。1993年3月、最初のデンマーク製風力発電機を石川県松任市に納品し、教までに54台の風力発電所の設置に関与し、今現在、日本国内向け風力発電機のライセンス生産を始める為の試みとして、日本国内で組み立てを始めました。この背景には、日本における風力発電所の建設要望が大量に出ており、デンマークから完成した製品を運び込むことが大変である、ということが見えてきたためです。また近い将来、日本の国内に沢山の風力発電所が設置されるという事が確実であるからです。
 
 この他に、日本の産業有機廃棄物の約18%を占める家畜の糞尿(年間排出料約7,500トン)を利用したバイオガス生産と、それを燃料としたコージュネの熱電会社も生まれてくると見ています。さらに、ごみ捨て場から発生するメタンガスの利用のための施設も生まれてくるでしょう。何故ならば日本もデンマーク同様、エネルギー資源を持たない国であり、国内エネルギー資源の利用と確保が国家の安全をはかり、また食糧の国内確保と同様、国民の豊かさに結びつくからです。
 
 今回の講演のテーマである“未来へのメッセージ”に関して、エネルギーと環境問題に重点を置き、最初にデンマークがとった例を紹介し、その後で日本のとるべき方策について提案したいと思います。そして最後に皆様のご質問にお答えしたい、と思っています。
 
1. デンマークが採ったエネルギーと環境政策
 
 まず最初に、デンマークに住む国民・住民の健康管理及び生活保護の最高責任は、国が負っています。国は国民・住民から徴収した税金によって、教育、生活保護、医療、高齢者福祉等を国庫で全て賄っています。例えば、デンマークの親の子供への扶養義務は、扶養法の6条において18歳までと定め、教育費は憲法76条の規定で無料(ここでは義務教育が無料となっているが、実際にはこの規定を拡大解釈し、大学も含めて全て無料としている。)このような事から、国民・住民は、自分達の納めた税金が、行政によってどのように使われているか、強い関心を持っています。この事については、国会議員の選挙の投票率が、80〜85%である事からも分かるような気がします。
 
(福祉経済学、所得の再分配)  デンマークのエネルギーと環境政策の背景には、国が国民の生活の面倒と健康管理をしなければならない事に基いた税金を無駄に出来ない理由と、次の世代にツケを残してはならない、という親の子供への愛情の精神があると思います。
 
 この事を前提として、1970年代の初めからデンマークが採ったエネルギーと環境政策の概要を述べたいと思います。この流れを知ることによって、デンマーク人の、精巧するまで諦めない精神と、それを後援する政治と行政があることに気付くでしょう。そしてこのデンマークの成功例が“教科書”となり、世界に伝わっている事を知って貰いたいと思います。
 
1.1 デンマークがとった環境・エネルギー政策の経過
 
 今日、デンマークが導入している環境とエネルギー政策は、1973年の中東紛争がもとで発生した石油の供給危機にさかのぼります。デンマークは当時、国内エネルギー消費量の90%以上を輸入石油に依存してきましたが、原油価格が一度に3倍に値上がりしたことで、エネルギー源を諸外国に依存することの怖さを知りました。この後、1976年2月「エネルギー供給法」を導入、同年4月エネルギー監督庁(Energistyrelese)を設置し、さらに同年5月、燃料の切替えと省エネを目的とするエネルギー供給の安全確保を主題にした「デンマーク、エネルギー計画1976年」を発表しました。この「エネルギー計画1976年」は、エネルギー源を分散し産油国への依存度を減らす事を命題とし、その手段として:
 
  ・北海油田の開発
  ・発電余熱と天然ガスを利用した給湯計画の実施
  ・補助金制度を導入した省エネの奨励
  ・エネルギー税の導入
 
が挙げられます。1979年「イラン・イラク戦争」が原因となって原油価格はさらに3倍に急騰したため、デンマーク政府はエネルギー税の増税、省エネ、発電燃料の石炭への切り替え等を通し、輸入石油への依存度を減らす事に努め、同年4月サウジアラビアとの間に政府間ベースの原油購入契約を締結し、石油の安全供給を図りました。1980年5月、電力と石油税を値上げし、それを財源として同年11月建物への省エネ補助金制度を導入し、さらに1981年1月、再生エネルギー源への補助金制度を導入し、さらに1981年1月、再生エネルギー源への補助金制度を導入しました。
 
 この後同年12月、デンマーク政府はエネルギーの安全供給対策として、エネルギー燃料の効率製を高める事と、エネルギー源の分散化を図る事に主題をおいた「エネルギー計画1981年」を発表しました。1982年4月、議会は北海油田の開発に力を入れる事を決議し15ヶ所の採掘を許可しました。1985年3月、議会は原子力発電に依存しない公共エネルギー計画を決議し、同年12月エネルギー税の引き上げを通しエネルギーの消費者価格の値下がりを避ける一方、電力会社との間で100MW風力発電建設協定を結びました。この後、1986年6月、政府は天然ガス、麦藁、木屑、バイオガス及び廃棄物を燃料とした総設備量450MWの分散型コージュネ(熱電併給)供給施設の建設を決議しました。  1990年4月、エネルギー省は、1987年3月国連のボントランド委員会で勧告された「環境と発展」に関するレポートをもとに、「地球の持続可能な発展」を主題にした「エネルギー2000年」を議会に提出しました。この「エネルギー2000年」では、地球が持続可能な発展を維持するため、デンマークが取るべき方策として:
 
  ・デンマークのエネルギー消費量を2005年までに1988年の水準に比べ15%削減する。また、地球の温暖化の原因と見られる二酸化炭素の放出量を2005年までに1988年の水準に比べ20%削減する。
  ・二酸化硫黄(SO2)及び窒素炭化物(NOx)の放出量をそれぞれ60%と50%削減する。等の目標を掲げ、この目標達成のため、以下の行動計画を提出しました。
 
  ・エネルギーの消費量の削減
  ・エネルギー供給体制の効率化の改善
  ・研究開発の奨励
 
 この行動計画をもとに1992年3月、各種の省エネ対策とバイオマスの利用政策を導入し、同年5月二酸化炭素税を導入しました。この後、1994年9月、エネルギー省を閉鎖し新たにデンマーク最大の中央官庁「環境・エネルギー省」を設置しました。この省の誕生により、デンマーク議会はエネルギー問題を環境問題に結び付けました。
 
 1996年2月、環境・エネルギー省は電力会社に対し、1999年までに20万kWの風力発電設備の増設を要請し、さらに、2005年までに民間の設備を含め90万kWの風力発電設備増設を要請しました。1997年3月、デンマーク議会は石炭を燃料とする火力発電所の建設不許可を決議しました。同年7月、電力会社は、洋上ウィンドファーム建設に関する行動計画を発表し、これにより海上に400万kWのウィンドファームの増設開花ウの第一歩を踏み出しました。
 
1.2 デンマークの環境とエネルギー政策の成果
 
 このようにデンマーク議会は、1973年の石油危機を教訓に輸入石油への依存度を減らすため、北海油田の火発に力を入れる事で発電所の燃料を石油から石炭に代え、さらにエネルギー税の導入をもとに省エネ政策を図りました。また国内エネルギー源である、風力、バイオガス、廃棄物等を利用するため分散型熱電供給施設の建設に努めてきました。デンマーク政府議会がとった1973年以降の環境とエネルギー政策の結果を数値で表したのが表1です。
 
表1. 数値で見るデンマークの環境・エネルギー政策 (単位:PJ=1012Joule) 1PJ=石油換算で約23,900トン
 
国内エネルギー源  
1972
1980
1990
1995
1996
1997
1998
石油生産  
3.8
12.7
256.0
391.0
432.2
479.2
491.6
天然ガス生産  
-
-
116.0
197.0
239.2
295.1
286.2
再生エネルギー  
14.3
25.8
50.9
65.6
70.4
74.2
76.7
   
合計  
18.1
38.5
422.9
654.2
741.8
848.5
854.5
 
 この結果、デンマークのエネルギー自給率は、1972年の2%から1980年:5%、1990年:52%、1996年の88%、1997年の100%、そして1998年には102%となり、完全なエネルギーの自給を果たすだけにとどまらず、エネルギーの輸出国に変貌しました。
 
1.3 デンマークの環境・エネルギー政策に占める再生エネルギーの成果
 
 デンマーク政府・議会は国内エネルギー資源の中で、風力発電、バイオガス、廃棄物等の再生エネルギー源の利用に努めてきました。上記の表1でも解るように、1998年の再生エネルギーによるエネルギー供給量は熱量換算で76.7PJに達しています。そしてこのエネルギー源別に見た内訳は、下記の表2の通りです。
 
表2. デンマークの再生エネルギー資源別に見たエネルギー供給量(1998年) (単位:PJ=1012Joule)
 
再生エネルギー供給量合計
76.7
     
内訳 風力発電
10.0
廃棄物
27.3
バイオガス
2.7
麦藁
13.4
木材・廃材等
19.5
その他(熱ポンプ等)
3.8
出所:Energistatistik (1999)
 
 1998年において、デンマークの再生エネルギー供給量は76.7PJで石油換算すると、約183万トンの熱量となり、再生エネルギー源による供給量は総エネルギー消費量(855PJ)の約9%となっています。これだけではなく、この成果はデンマークに新しい産業を生み、来ようの確保、輸出による外貨確保に結び付いています。
 
1.4 デンマークのエネルギーと環境政策が生んだ産業
 
 1973年の石油危機を契機に、デンマーク政府・議会はエネルギーの自給率を高める事に努めてきましたが、その結果として風力発電、バイオガス技術の開発、そして廃棄物利用に関するノウハウの技術等の新しい産業を生み、この新産業によって、雇用の確保、輸出を通した外貨の獲得にもつながってきています。
 
1.4.1 デンマークの風力発電導入と産業の育成
 
 風力発電機とは、風の運動エネルギーを電力エネルギーに変換する機械装置の事で、デンマークが再生エネルギー利用の中でも最も力を入れた政策が、風力発電所の建設です。1999年現在、デンマーク国内に約5,250基の風力発電機が設置され全デンマークの電力消費量の約10%に当たる約30億kWhの電力を供給し、年間約250万トンの二酸化炭素の削減に貢献しています。デンマークの一人当たりの風力発電所の所有設備量は、世界最大で305ワット、2番目のドイツの6.5倍です。また、デンマークの風力発電の世界シェアは約50%で、輸出した風力発電機の数は1980年以降昨年までに2万基、今日デンマークの風力発電機の輸出額は、年間約1,000億円に達し、デンマークの主要輸出品目の第3位になっています。風力発電産業に関係した職業に従事している従業員数は12,000人、デンマーク政府・議会が1973年の石油危機以来継続してきたエネルギー政策が、エネルギー燃料の輸入を減らし、国内に風力発電産業を生み、それによって外貨の確保と雇用の確保につながっている、という事です。それだけではなく、デンマークにおける風力発電所の所有者は約87%が個人又は個人の集まりによる協同所有となっている事から、売電によって莫大なお金がこれらの所有者に落ち、このお金が市民の生活のゆとりにつながっている、ということも忘れてはなりません。
 
1.4.2 バイオガスプラントの社会的意義
 
 デンマークが導入したバイオガスプラントとは、家畜の糞尿と産業有機廃棄物を混合し、発酵タンクに入れて発酵させ、その中から発酵ガスを取り出し、そのメタンガスをコージュネ(熱電併合)発電の燃料に利用するための装置が、バイオガス装置(プラント)です。冒頭において既に説明した通り、デンマークは大量の肉類と酪農製品を生産していますが、デンマークの農業も国際競争力の影響を受け、農家の規模は年々大きくなっています。この大農場化は、家畜の保有頭数の増大につながり、家畜の糞尿の処理という問題を引き起こしました。一方、デンマーク政府は、窒素、硫酸塩による飲料水である地下水と河川の汚染を防ぐために、農家に対し10月1日から2月1日まで、家畜の糞尿を農地に散布することを禁じました。この政策の導入の結果、現在デンマークの全農家に家畜の糞尿を9ヶ月間溜める場所が確保され、大量の糞尿を溜めています。家畜の糞尿からメタンガスを取り出す試みは、1970年代から農業関係者の間で始まってはいましたが、デンマークの政府・議会が本格的に力を入れ始めたのは、1986年の後半からです。この時に出された行動計画(1986年11月から1987年5月にかけ、共同(集中)バイオガス施設に関する協同諮問委員会が作成した行動計画)が、現在のバイオガス産業の基礎を作りました。1999年12月現在、デンマークには大農家が独自に所有する「農業用バイオガスプラント」が19ヶ所あり、沢山の農家が集まって作った「共同バイオガスプラント」が20ヶ所あります。これらのバイオガス施設の社会的意義を見ると1998年農業用のバイオガスプラント19ヶ所で発電した電力量は約370万kWhで、約900家庭の電力消費量となっています。この他に約900万kWhにあたるお湯を生産しています。また、共同バイオガスプラント20ヶ所の生産量では、約140万トンのバイオマス(バイオガスを作る材料の総称)の中から石油換算で、約28万トンにあたる約5,000万Gのメタンガスを生産しています。つまり、デンマークでは家畜の糞尿と産業有機廃棄物の中から、大量のネts両を取り出している、という事です。このデンマークのバイオガスの開発と技術は世界各国から注目されており、既にデンマークの企業と日本の企業との間にジョイントベンチャー会社を設立した事から見ても、近い将来デンマークのバイオガス技術は、輸出産業になる事を確信しています。
 
1.4.3 ゴミ捨て場に発生するメタンガスの利用
 
 デンマークのエネルギーと環境政策から生まれた新しい産業の中に、廃棄物の最終処分場に発生するメタンガスの離島があります。デンマークでは、今日18ヶ所の廃棄物処分場ででこのメタンガスを抜き取っています。この18ヶ所の処分場でとるメタンガスの社会的意義を見ると以下の通りです:
   
  ・年間のメタンガス生産量−4,700万G(8,000戸分の熱量消費が賄える)
  ・廃棄物の1トン当たりから採れるメタンガスの量−2.7G
  ・地球の温暖化防止への貢献として、メタンガスの放出削減量は年間15,000トンで、二酸化炭素換算で約30万トンにあたる。
 
 廃棄物の最終処分場に発生するメタンガスを抜き取るという事は、廃棄物の腐食を速めるため、ガスを抜かない場所に比べて完全腐食期間を半分に減らすことが出来ると言われ、30〜40年で土になります。この事は、廃棄物からエネルギーを得るだけではなくて、次の世代に負担をかけないで済むという事でもあります。デンマークにはこの分野でのノウハウも進んでいるため、この技術が近い将来に世界各地の廃棄物の最終処分場のメタンガスの利用に役立てる事になるでしょう。
 
2. 日本への提案
 
 私は1991年1月から日本に風力発電を普及する仕事に携わってきました。1993年3月に最初のデンマーク製風力発電機を石川県松任市に納品し、風力発電機の設置工事もしてきました。それ以来、教までに54基の風力発電機を日本に納める事に関与しています。また1997年6月に開校した「風のがっこう」の業務を通して、いろいろな勉強をさせて貰っていますが、日本に対する提案として以下の事を伝えたいと思います。
 
2.1 日本における食糧とエネルギーの自給への提案と疑問
 
 我々が生きる上で最低限必要な条件は、食糧とエネルギーの確保だと思います。過去の歴史から見ても解るとおり、食糧とエネルギーの確保ののために我々人類は幾度かの戦争をしてきました。デンマークが食糧とエネルギーの自給のために懸命な努力をしているのは、国民・住民の生活と健康管理を国が責任を持っているためだと私は見ています。では、日本における現状はどうか、1億2,500万人の人口を持つ日本において、食糧の自給率は約40%、エネルギーの自給率は約18%と言われています。国民・住民の生活の安定上において欠かせない食糧とエネルギーを確保するためにはどうすればよいのでしょうか?食糧を外国から輸入したほうが安いといって、輸入に依存していますが、その結果そういう問題が起きているでしょうか。日本のエネルギーの80%以上を輸入に依存していますが、この依存度を減らす方法はないのか、等検討する必要があるのではないでしょうか。
 
 先月、風力発電所の基礎工事のためのスーパーバイザーを同行し、北海道の島牧を訪ねました。風力発電所の設置場所は海抜約200mの熊篠が生える傾斜の緩やかな丘が延々と続き、何キロメートルも人が寸でいない場所です。その場所に立派なアスファルトの道路があり、雪よけ用のトンネルもついていました。3メートルの多角繁殖した熊篠の下には、何メートルもの厚い粘土層になっている事は、風力発電機の基礎の穴を掘った後に見ることが出来ました。我々がデンマークで見ている農地に比べて大変肥沃に見えた訳ですが、疑問に思ったのは人も住んでいない場所のあれだけ立派な道路を何故ひt章とするのか、立派なアスファルト道路を作れるお金があるのに、何故道路建設費の一部を割いて、熊篠の原野を開墾し農地にしないのか、という事でした。北海道を見て気付いたのは、立派な道路が沢山あるのに、その道路を利用する車が少ない事、特に物を運搬する車が少ない事、商店が沢山あるのに、物を生産している場所が以外と少ない事でした。道路工事は国からの補助金による工事と思いますが、税金の使われ方に疑問を持った次第です。
 
 また、税金の使われ方で疑問を持つのは、自然エネルギー補助金政策において、日本政府は太陽光発電に多くの補助金を充て、(1999年:160億円)自然エネルギーの中で高率のよい風力発電への補助金を少なくしています。デンマークの例から見ても、風力発電は発電設備として、十分にあてに出来るものとなってきているだけに、この理由が見えません。
 
 さらにまた、日本の産業廃棄物の約18%にあたる7,000万トンが家畜の糞尿で、このうちの半分以上が殆ど利用されないまま捨てられ、それが河川の汚染にもつながっています。日本において、河川からの水は少なくとも住民も飲料水となっている事から、家畜の糞尿を垂れ流す事は避けるべきだと思います。
 
2.2 未来へのメッセージ
 
 日本の食糧とエネルギーの自給率を高めるためにはどうすればよいのでしょうか?この問題の解決には、政治、行政、そして国民・住民の強力を長期にわたる行動が必要だと思います。ただ残念ながら、日本の例と見ると、政治から行政、そして国民・住民に至るまで共生の精神よりも、利害関係からくる、競争の心理と短期の成果を求める力が強く、理解を出来ても行動を起こせないでいる事が殆どで、ただ時間が過ぎ去っているように見られます。その結果がどうでしょうか。地方都市は活気を失い、田舎の町村には職場がなくなるため、残るのは高齢者と子供だけの社会になってしまっているのが現状ではないでしょうか?
 
 私の住む町の人口は、この東山町とほぼ同じで9,700人です。私は、1967年デンマーク語を勉強するため、この町の農業に住まわせてもらいながら、その町の小・中学校に通いました。当時の町の産業分布と30年経った教の産業分布を比べてみると、大きく変化しています。まず最初に、人口が増えた事、1970年から1997年までの全国平均の人口の伸びが7.4%であるのに対して、この町の人口は37.5%増え、1983年から1994年までにおける産業に従事する雇用人口は、全国平均の-1.1%に対して、37.9%の伸びとなっています。
 
 この事を可能にしたのは、誰かという事を挙げると、まず最初に町議会議員に「町をどうするか。」というビジョンがあった事、そのビジョンを実行させる能力を持った町役場の職員がいた事、それを受け入れる町民の教育があった事、です。例を挙げると、私が「風のがっこう」を開校するにあたって、いろいろな手続きが必要でしたが、その中で農地に建っている建造物を農業以外の目的で使用する場合、町議会からの許可と農地法35条の規定から特別許可を県庁から得ることが必要でした。この申請許可願いに対し、町議会が3日で審査し許可を出し、県庁に許可するように嘆願書を添付してくれ、その事もあり2週間で全部の許可がおりました。町長に会う機会があり、許可のお礼を伝えるとともに許可が早くおりたので驚いている、と言ったところ、「この町を守るのは我々であり、中央政府の役人でも県庁の役人でもない。法律は違反すれすれまで拡大解釈しても、町民のために利用する。」との返答がありました。このように「風のがっこう」は町役場の後押しを得て、開校したわけですが、「風のがっこう」の研修活動は、町内バス会社、ホテルの食堂、各種商店、企業に貢献しています。
 
 分かりきった事ですが、国や町を守るのは、その場所に住む国民・住民です。そのためには政治に携わる人、行政機関に勤める人には、その場所を守るための理解と行動力が必要である、という事が、私の住む町の例から見えたような気がします。
 
 それでは東山町はどうあるべきか、このままの状態で何とかなるか、この答えを出すには私はこの町の事情を知らなすぎます。ただ言える事は、次の世代もこの町で生活していかなければならないはずだ、という事です。そのためには、働く場所、住む場所、楽しむ場所がなければなりません。働く場所が足りなければ、新しい職場を創出しなければなりません。新しい職場が創業した場合、従業員の住む場所があるか、必要な労働人口が確保出来るか、従業員が週末に遊べる場所があるか、等の条件をつくるのが、町の政治と行政に携わる人達の仕事であると思います。そして、町民は競争から共生へ向け、協力すべき行動に移してはどうかと思います。そのひつとして、私が勧めたい件は以下の事です:
 
  1)風力発電の共同所有による発電事業。
  2)家畜の糞尿と町内から出る有機廃棄物を利用したバイオガスプラントの共同操業によって得た電力とお湯は自家消費用として使用し、お湯は温室栽培等の熱量として使用する。
 
 この試みによって、東山町に新しい産業が生まれると信じています。そのためには有機をもって行動に移してみてはどうでしょうか?
 
 昭和のはじめに私の祖父が石炭工場を始め、小白屋敷と呼ばれ、かなりの資産を持っていた実家が、この事業のために全部の資産を失ったと聞いています。それだけではなく、祖父の借金を負った両親は大変苦労しました。私達兄弟、姉妹は親の手伝いで、勉強する時間がありませんでした。しかし我々の実家は資産を失ったがその後、何年か経てこの土地に沢山の石炭工場が誕生し、この町の雇用を確保し町が栄えました。個人が持つ、資産や財産は世のため人のために使うべきで、一家族の私有物ではないのだ、ということを祖父が語っていたような気がします。
 
おわりに
 
 デンマークは国が国民・住民の生活と健康管理の責任を持っているため、国民・住民の生活の安定をはかる事が大きな課題となっています。そのためには、国内で食糧とエネルギーを確保することによって、国の安定がはかれるとしました。1970年当初の「石油危機」の教訓を生かし、30年という長い年月をかけたエネルギー政策の成果は、風力発電、バイオガスプラント、廃棄物の最終処分場のメタンガスの利用に関する技術を得て、北海油田の開発の精巧も含めて、エネルギーの輸出国に成長しました。そしてこれらの技術は、食糧の自給率も十分ではなく、エネルギーの自給率においては、20%にも達していない日本においても開発する余地があると見ますが、補助金という名目の税金の使い方に疑問が残ります。住む場所を守るのは、その場所に住む人達の手で守らざるをえないと思います。そのためには、政治、行政、市民が一緒になって共生の精神で時間をかけ、造りあげる必要があると見ます。その方策として、風力発電の共同所有とバイオガスプラントの共同運営を勧めたいと思います。この事業を通して何か新しい産業が生まれてくるはずです。そのためには有機を持って行動を起こす事だと思います。

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