昭和7年(1932)の満州事変から昭和12年(1937)日華事変と戦火が拡大され、戦時統制的な色彩が強くなると、陸軍省は長期戦のための戦力増強、人的資源確保のため「生めよ、殖やせよ」の方針を遂行するため、育児用の牛乳・乳製品の増産を図りました。一方、農水省も練乳を東南アジアに輸出する見返りとして戦時物資ゴム、石油、錫、鉛などを輸入し、国をあげて戦時経済に突入していきました。昭和14年(1939)には「酪農調整法」が発布され、大日本製酪業組合という統制団体が設立され、乳製品の製造、販売、出荷などの需給、価格の国家統制による一元化が行われました。不足しがちの牛乳を乳幼児や病人など必要な方面に優先配布するため、昭和17年(1942)の9月定例閣議には農林大臣より牛乳配給統制が報告され、3順位に分けて配給を実施しています。 第一種 満一歳以下の人工栄養または混合栄養を必要とする乳児 第二種 満二歳以下の幼児で牛乳を必要とするもの主な栄養を牛乳以外から摂取できない重病人 第三種 妊産婦手帳所持者またはこれに準ずるもの、満五歳未満の幼児第二種に入っていない病人 これらの実施にあたっては、医師の証明書と区役所の証明のあるものに優先的に配給することとしていますが、「従来のように医師の証明書の乱発により証明書があっても牛乳が手に入らないことがないように」と但し書きがついていることから、牛乳の供給が滞っていた現状をうかがい知ることができます。また、昭和18年(1943)4月には東京都において配給の登録制が設けられ、需用者は町会から申請書を受け取り、医師の証明を受けた後、町会をとおして区役所に提出するというさらに厳しいものになっています。 昭和19年(1944)には木製飛行機の接着剤としてカゼインの増産が要求され、増産体制に入ったときに終戦となりました。この時代の乳業界は、ミルクプラントの設置など個人企業、家庭内工業から近代乳業への革命的胎動の中で苦難の道程を辿っていた時期でもありました。戦時下という悪条件も加わりましたが、一方で国家統制による一元化は、乳業界の大資本化をさらに促進する要因になったとも考えられます。
■大正時代の牛乳瓶 所蔵:トモエ乳業牛乳博物館
■戦時中の牛乳瓶 所蔵:トモエ乳業牛乳博物館
■乳牛タイムス 上 昭和13年7月号東京市の 深川区東陽小学校で実施され た牛乳給食の風景 下 昭和12年7月号
■飲用牛乳優先配給 證明書交付申請書 所蔵:トモエ乳業 牛乳博物館
■KOTANI MILK HALL 明治後期〜大正期と思われ る写真です。牛乳一杯金8 銭(ビスケット付)パン菓 子金5銭の文字が読みとれ ます。ミルクホールは昭和 初期ごろにはなくなります。
■下構遺跡(岩手県平泉) 出土ほ乳ビン牛乳ビン 昭和5年に廃棄されたと推測さ れるもの。明治末〜大正期に使 用された牛乳ビンと思われます 。 所蔵:岩手県埋蔵文化財 センター
■牛乳販売会社広告 乳業経済に掲載 されたもの
■牛乳輸送用木箱 所蔵:トモエ乳業牛乳博物館