[展示資料解説]
 
貴族の乗用車である牛車は、京都で発達していましたが、江戸時代には既に衰退していました。浮世絵には、平安時代の公家か皇族の行事の見立て絵と京都の下賀茂神社の祭礼である加茂祭(葵祭)の行列、さらに大正元年(1912)に発行された明治天皇の大葬之図が描かれており、平安時代以降も牛車が皇族の乗り物として認識されてきたことがわかります。しかし、牛車は祭礼や儀式などに用いられたのみでした。

 


■タイトル不詳
 礫川亭永理 天明末〜文化年間頃(1780-1810)
 大判3枚続

 平安時代の公家もしくは皇族の行事の見立て絵と思われます。画面右の牛は牛車をひいており、白黒の斑牛です。牛車をひくウシには、斑牛を好んで用いたようで、鎌倉時代の延慶3年(1310)に牛車用のウシを描いた国牛十図にも斑模様の牛が描かれています。しかし、この浮世絵のウシでは斑紋が普通では見られない入り方をしており、絵師の永理が斑牛を見て描いた可能性は低いと思われます。

 

■東海道名所之内 下加茂
 歌川豊国三代 文久3年(1863)4月 大判

 描かれているのは加茂御祖神社(下賀茂神社)と加茂別雷神社の祭礼である加茂祭(葵祭)の様子です。この祭は、欽明天皇の567年に始まったとされ、弘仁10年(819)には朝廷の律令制度として最も重要な恒例祭祀に準じて行うという国家的行事になりました。応仁の乱(1467-77)の後、元禄6年(1693)まで約200年の間中断されていましたが元禄7年(1694)に祭が再興されて後、当日の内裏宸殿の御簾をはじめ、牛車、勅使、供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで全て葵の葉で飾るようになって「葵祭」と呼ばれるようになったといいます。その後、明治、昭和に中断や行列の中止がありましたが現在でも京都三代祭の一つとして知られています。描かれている牛車は、俗に御所車と言われ、勅使の乗る車です。牛童、車方、大工職などの車役が替え牛とともに従います。

 
■二重橋外御大葬之圖
 半哺 大正元年(1912) 9月 大判6枚続

 明治天皇の御大葬の様子が描かれています。棺が納められた牛車をひいている牛は周囲の人物と比較してかなり大きいことがわかります。牛が目立ちすぎないように牛の体を影色で表現していますが頭部や尾部などに黒い大きな斑が認められます。