いわてウォッチング

  2005年1月号〜12月号




■ 熊谷美術館 〜一関市〜 (2005年12月号)
■ 伝承園  〜遠野市〜 (2005年11月号)
■ 安比塗漆器工房  〜八幡平市〜 (2005年10月号)
■ 達谷窟毘沙門堂  〜平泉町〜 (2005年9月号)
■ 伝統工芸館  〜盛岡市〜 (2005年8月号)
■ 気仙大工・左官伝承館  〜陸前高田市〜 (2005年7月号)
■ 石と賢治のミュージアム・太陽と風の家  〜東山町〜 (2005年6月号)
■ 盛岡市子ども科学館  〜盛岡市〜 (2005年5月号)
■ サハラガラスパーク  〜一関市〜 (2005年4月号)
■ サトウハチロー記念館・叱られ坊主   〜北上市〜 (2005年3月号)
■ 深沢紅子 野の花美術館   〜盛岡市〜 (2005年2月号)
■ 太田家住宅(太幸邸)   〜前沢町〜 (2005年1月号)

 

■ 熊谷美術館 〜一関市〜

「熊谷美術館」は、一関市千厩町にあり、東北自動車道・一関ICから車で約50分、JR大船渡線・千厩駅から徒歩約20分、商店街の中程の路地を少し入ったところに位置しています。 
 
熊谷美術館は、千厩町出身の画家・熊谷登久平(明治34年〜昭和43年)の作品を中心に展示する美術館で、熊谷画伯の生誕百年と没後33年に当たる平成1312日に、画伯の甥である熊谷英三氏が整備し開館しました。

 熊谷画伯は、一関中学校から中央大学商学部に進学し、川端絵画学校で洋画壇の巨匠・藤島武二に師事し本格的に油絵を学びました。昭和年に第回白日会展に初入選し、昭和年には第回独立展で海南賞を受賞、昭和16年には独立美術協会会員になりました。
 
熊谷画伯の作品は風景画が中心となっており、大胆な色遣いのなかに、ほのぼのとした、明るく叙情的な雰囲気を持ち、そのダイナミックな画風は来館者の心を掴んで離しません。画伯の作品は岩手県立美術館にも収蔵されています。
  同美術館は、築後120年といわれる土蔵に開設されています。土蔵は、黒い屋根の昔ながらのどっしりとした建築様式で、頑丈に組まれた太い柱と白壁の内装は、熊谷画伯のダイナミックな画風の作品と見事に調和し、絵画と土蔵のコラボレーションを楽しむことができます。
 
      (岩手経済研究2005年12月号で紹介) 

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■ 伝承園  〜遠野市〜

「伝承園」は民話と伝説の里として知られる遠野市の土淵町にあり、JR遠野駅から国道340号線を宮古市・川井村方面へ車で約10分の距離にあります。
 
同園は、遠野地方の農家のかつての生活様式を再現し、伝承行事、昔話、民芸品の製作などが体験できる施設として昭和59年6月に開園しました。
園内には、国の重要文化財に指定されている曲り家「菊池家住宅」のほか「佐々木喜善記念館」、「工芸館」、「御蚕神堂(おしら堂)」などがあり、遠野で自然と共に生きた人々の暮らしを垣間見ることができます。
 「菊池家住宅」では、往時の農家の調度品・民具の展示のほか、前もって予約をすれば囲炉裏を囲んで語り部による昔話を聞くこともできます。
 「佐々木喜善記念館」では、柳田國男の作品「遠野物語」の話者として有名な同氏に関する資料を展示しています。
 「工芸館」では、民芸品や機織りの製作・実演のほか、ワラ細工・お手玉・絵馬絵付けなどの製作体験ができます。
 「御蚕神堂」では、娘と馬の恋物語で知られ、農業・馬・蚕の神様として信仰されているオシラサマ千体を展示しています。このほか伝承園では、遠野地方の伝統行事や語り部による昔話が無料で体験できるイベントが季節ごとに開催されています。

      (岩手経済研究2005年11月号で紹介) 

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■ 安比塗漆器工房 〜八幡平市〜

 「安比塗漆器工房」(旧安代町漆器工房)は、八幡平市の旧安代町叺田にあり、JR花輪線・荒屋新町駅から徒歩10分、東北自動車道・安代ICから車で5分の距離に位置しています。
 旧安代町は古くから全国でも有数の漆採取地であり、藩政時代より生活に根ざした日用漆器を産し、「荒澤漆器」として広く知られていましたが、近年、プラスチック漆器の普及などで生産も低迷していました。1999年に完成した「安比塗漆器工房」は、この伝統ある漆器の復興を目指し、新たに「安比塗」として丈夫で使いやすい漆器を作り続けています。
 
「安比塗漆器工房」で作られる器は、下地から上塗りまで一貫してこの地域で採取された国産漆を使用し、下地も漆だけで塗り重ね、その鮮やかな発色と堅牢さは国産漆の良さを充分に生かしています。県北地方では、昔から片口はどぶろくの酒器として使われ、現在でもその味わい深い形と鮮やかな漆の発色を楽しむため、お刺身などの盛皿やお部屋のインテリアなど多用途に使われています。
 また、当市では安比塗の作り手の育成施設が開設されています。ここで育った若い作り手が中心となって物作りが行われている「安比塗漆器工房」では、若い方々の感性を取り入れ、伝統的な漆器のみならず、新しい物作りに取り組んでいます。
      (岩手経済研究2005年10月号で紹介) 

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■ 達谷窟毘沙門堂 〜平泉町〜



 「達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)」は平泉町平泉字北沢にあり、JR東北本線・平泉駅から県道31号線を厳美渓方面へ車で約10分の距離に位置しています。
 達谷窟毘沙門堂は、坂上田村麿(さかのうえのたむらまろ)公が蝦夷(えぞ)討伐の戦勝記念と仏の加護への感謝を込めて延暦20年(801年)に造営したもので、平成13年4月に世界遺産の暫定リストに登載された「平泉の文化遺産」の構成資産の一つとなっています。
 伝承によると、当時、達谷窟には蝦夷の首領悪路王(あくろおう)が籠もり良民を苦しめていたとされ、これを征夷大将軍坂上田村麿公が延暦20年に激戦の末に打ち破りました。田村麿公は戦勝の御礼に京都の清水の舞台造りを模し、九間四面の精舎を建て、鞍馬寺から毘沙門天を勧請し108躰の毘沙門天を祀り、国を鎮める祈願所とし、達谷窟毘沙門堂と名付けました。
 達谷窟の縁起は、田村物語として「吾妻鏡」を始めとする中世文学に大きな影響を与え、源頼朝公も奥州遠征の帰路、参拝に訪れています。
 現在の御堂は昭和36年に再建されたもので、中央の扉の奥には慈覺大師(じかくたいし)が田村麿公の御顔を模して彫ったと伝えられる御本尊が秘佛として祀られています。また、西側の岩壁には北限の磨崖仏(まがいぶつ)として有名な顔面大仏があります。顔面大仏は、源義家公が前九年、後三年の役の戦死者の霊を弔うために弓弭(ゆはず)を以って刻んだと伝えられ、日本五大磨崖仏に数えられています。
(岩手経済研究2005年9月号で紹介) 

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■ 伝統工芸館  〜盛岡市〜

「伝統工芸館」は、詩人宮沢賢治をモチーフとした街づくりや毎週土曜にひらかれる「よ市」で賑わう盛岡市の材木町商店街の一角にあり、JR盛岡駅から徒歩で約10分の距離にあります。
   同館は岩手を代表する伝統工芸品を中心に全国の伝統工芸品を展示・販売する施設として、平成6年10月に開館しました。
   館内には、国の伝統的工芸品に指定された「岩谷堂箪笥」、「南部鉄器」、「浄法寺塗」、「秀衡塗」をメインに様々な伝統工芸品がコーナーごとに展示されています。伝統家具の「岩谷堂箪笥」を展示するコーナーでは、木目のもつ温もりや漆塗りと飾り金具が醸し出す伝統美を肌で感じることができます。「南部鉄器」を展示するコーナーでは、お馴染みの鉄瓶や茶釜のほかフライパンや風鈴などの製品を展示しています。このほか「秀衡塗、浄法寺塗」などの漆器や久慈琥珀の飾り物のほか、東山和紙、盛岡のこけしなどの工芸品・民芸品なども展示されており、古えから永く継承されてきた先人の美意識に触れることができます。全国の伝統工芸品を展示するコーナーでは、備前焼など有名な伝統工芸品のほか、思わず手にとってみたくなるようなインテリア雑貨、小物も展示しています。
   また、定期的に伝統工芸品に関する催し物を開催し、伝統工芸品を生かしたライフスタイルを提案しています。
      (岩手経済研究2005年8月号で紹介) 

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■ 気仙大工・左官伝承館 〜陸前高田市〜

「気仙大工・左官伝承館」は陸前高田市小友町の「市民の森」にあり、JR大船渡線・陸前高田駅から車で約15分の距離に位置しています。
     気仙大工は、気仙地方(陸前高田市、大船渡市、住田町)一帯を発祥の地とする大工集団です。江戸時代から、西は山口県周防大島「長州大工」、香川県塩飽諸島「塩飽大工」、そして北は岩手県の「気仙大工」という大工集団が、その卓越した技を生かし、全国各地の神社仏閣や民家の建築に活躍していました。
    明治時代から戦前にかけて、気仙大工は、南は関東、北は北海道・樺太にまで出かけ腕を振るいました。入母屋屋根の小屋組、自然に曲がった木を巧みに梁に組み込む梁算段窓の格子や、階段の手すりの仕上げ方など独自に工夫された技法が数多くみられ、建築学の観点からも高い評価を得ており、その流れをくむ気仙大工が現在も活躍しています。
    同館は、気仙大工の優れた建築技法を後世に伝えることを目的として、平成4年7月2日に開館しました。明治初期の気仙地方の中農家をモデルに、当時の建築様式により、材料は全て気仙杉などの地元材を使用して建築されました。母屋は木造平屋建て茅葺で、大黒柱と丑もち梁は太い材料を使用し、重厚な小屋組と広々とした間取りは往時の生活を偲ばせます。荒削りな力強さと繊細さが同居する気仙大工の「匠の技」を目の当たりにすることができます。
      (岩手経済研究2005年7月号で紹介) 

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■ 石と賢治のミュージアム・太陽と風の家 〜東山町〜


 「石と賢治のミュージアム・太陽と風の家」は、東山町のJR大船渡線・陸中松川駅下車徒歩3分のところにあり、晩年の宮沢賢治が技師として働いた旧東北砕石工場周辺を整備し、平成11年にオープンしました。
 旧東北砕石工場は大正13年、土壌改良剤になる石灰石粉製造をめざして、地元の鈴木東蔵、鈴木貞三郎の共同経営で創業、小岩井農場に製品を送りとどける仕事場でした。酸性度が強いため「耕作の限界外」にあった小岩井農場の土壌を豊かにするうえで、炭酸石灰(石灰石粉)がどうしても必要だったからです。ところが工場では、小岩井農場以外の注文がほとんどなく困っていた昭和4年春、東蔵が花巻の肥料店でたまたま「肥料の神さま」宮沢賢治を知り、さっそく病床の賢治を訪れたのです。それ以後、賢治が東北砕石工場経営を手伝うようになり、昭和6年には東北砕石工場技師として、製品セールスに東奔西走するのでした。賢治全生涯37年のうち、33歳から死去までの5年にわたる仕事でした。
 それから80年を過ぎた平成8年、技師賢治の働いた旧東北砕石工場が、産業近代化遺産として、登録有形文化財に指定されました。
 「太陽と風の家」は、理想郷の創造に邁進した技師賢治の心と生き方を「見て、聞いて、触れて、遊んで、まなぶ」ところで、展示室には、東北の気候風土と当時の農村困窮、炭酸石灰による豊かな土づくりに賭けた賢治の情熱と活躍、ついに出張先東京で病の再発、そして有名な「雨ニモマケズ」が生まれるまでの足跡を、手紙や写真展示でわかりやすく展示しています。
 また、賢治の見ていた自然の不思議な秘密を直感できる世界の鉱物標本、たたくと美しい音の出るサヌカイト石、昔懐かしい鉱石ラジオやテレビ石などに触れる体験コーナーもあります。

      (岩手経済研究2005年6月号で紹介) 

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■ 盛岡市子ども科学館  〜盛岡市〜

 「盛岡市子ども科学館」は盛岡市本宮に位置し盛岡駅から車で約10分の距離にあり、周囲には、「原敬記念館」、「盛岡市先人記念館」、「遺跡の学び館」、「岩手県立美術館」などもあります。
  同館は、子どもたちが楽しみながら科学技術に興味を持ち、理解し、「科学する心」を養うことを目的として、昭和58年5月5日に開館しました。
  科学の旅をイメージした展示室は、3つの空間より構成されています。「出発の空間」は、夢とふしぎ、遊びと工夫をテーマとした広場です。「発見の空間」は、科学の原理、人間の生活と科学・技術をテーマとした広場です。「情報の空間」は、コンピューターの様々なソフトを使う、盛岡市の植物、動物、環境をテーマとした広場です。
  サイエンスドーム「宙(そら)」には、フルカラーのコンピューターグラフィックス(CG)をリアルタイムで生成して、360度の大型ドームスクリーンに投映することができる、世界最新鋭のプラネタリウムが設置されています。「物語の時間」、「テーマの時間」、「プラネタリウムの時間」の3つの投映を中心に、星のこと、科学のこと、コンサートなど、様々な投映を行っています。
  毎週土曜日、日曜日及び祝日の午後には、子どもに科学する心をはぐくむために、いろいろなものづくりにチャレンジしたり、観察や体験をしたりできるワークショップを開催しています。料金は無料〜200円程度となっており、楽しい科学工作などが体験できます。
      (岩手経済研究2005年5月号で紹介) 

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■ サハラガラスパーク 〜一関市〜

  「サハラガラスパーク」は一関市厳美町にあり、名勝天然記念物・厳美渓に隣接し、東北新幹線・東北本線一関駅から車で約20分、平泉からは車で約15分の距離にあります。
 
同施設は「世界の中から確かな目で選び贈る東北のガラスの拠点」をテーマとして、平成5年4月に開設されました。
 世界の珍しいガラスをはじめ、十万点におよぶガラス工芸品を展示・販売しているコーナーでは、思わず手にとりたくなるメルヘン調の小物ガラス、気品と優美さをあわせもつアートガラスなど、色あせることのないガラス工芸品の数々が、あふれる色彩と光で訪れる人々を迎えてくれます。
 隣接のガラス工房では、希望者はオリジナルガラスを作る「ガラス体験コース」を楽しむことができます。ガラスをステンレスのパイプの先に付けて、吹いて形を作る「宙吹きガラス」、ガラスにシートを貼り、好きな絵を描いて切り取り、砂を吹きかけ曇りガラス状に表現する「サンドブラスト」、思い思いの色と形で、壁かけや小物入れなどをデザインしていく「ステンドグラス」、ガラスに電動ニードル(針)を使用して、文字や絵を描いていく「ハンドグラビール」などの制作が体験できます(「ガラス体験コース」は有料で、希望者は予約が必要です)。
 中庭には、ガラスの花時計や噴水などがあり、併設のレストランの窓にはステンドグラスが使用されるなど、「ガラスのテーマパーク」として、家族連れにも十分楽しめる施設となっています。

      (岩手経済研究 2005年4月号で紹介) 

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■ サトウハチロー記念館・叱られ坊主 〜北上市〜

「サトウハチロー記念館・叱られ坊主」は、北上市立花にあり、JR北上駅から、車で約5分の展勝地公園内に建てられています。
 同館は、「かわいいかくれんぼ」「うれしいひなまつり」「ちいさい秋みつけた」「叱られ坊主」などの童謡や叙情歌、「りんごの唄」「長崎の鐘」「2人は若い」などの歌謡曲の作詞者であり詩人のサトウハチロー(明治36年〜昭和48年)の作品や資料を展示する記念館で、東京都文京区にあった同名の記念館を北上市に移転して平成8年5月に開館しました。
 ハチローは、東京生まれの東京育ちですが、父親の佐藤紅緑(小説家)は弘前市、母親のハルは仙台市の生まれで、ハチロー自身も「ボクの血は100%まちがいなく東北人の血。だから童謡『めんこい仔馬』も『べこの子うしの子』も東北のコトバが自然に入っている」と語っています。同館の北上市への移転は、東北出身の佐藤家の、100年ぶりの里帰りといえます。なお、直木賞作家の佐藤愛子さんは、ハチローの妹です。
 同館には、その70年の生涯に2万編あまりの「ウタ」(ハチローは自身の多彩な作品を「歌」「唄」「詩」ではなく「ウタ」と称しました)を遺し、広く日本人に愛されたハチローの作品や各種資料、レコードジャケットなどが展示され、ハチローの仕事場を再現した展示スペースが設置されています。「本音でお客様と接したい」との館長(ハチローのご二男)のお考えにより、希望者は館長ご自身による説明を受けることができます(事前にお問い合わせ下さい)。
      (岩手経済研究2005年3月号で紹介) 

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■ 深沢紅子 野の花美術館 〜盛岡市〜

「深沢紅子 野の花美術館」は、盛岡市紺屋町にあり、市中心部を流れる中津川にかかる上の橋と与の字橋にはさまれた川沿いに位置しています。
 
同館は、盛岡市出身の女流画家・深沢紅子(明治36年〜平成5年)の作品を展示する美術館で、深沢家より、盛岡市に野の花を描いた水彩画と油彩画二百数十点が寄贈されたのを契機に平成8年9月に、開館しました。
 深沢紅子は、幼少より日本画を学び、東京女子美術学校(現在の女子美術大学)在学中に、洋画に転じました。22歳の時、女性で初めて二科展に入選した後、一水会などで入選を重ねました。また、女流画家協会の創立に協力するなど、後進の指導にも貢献しました。
 深沢紅子の作品は、清々しいロマンに溢れ、高貴な香りを漂わせています。時流による絵画形式の変化とは無縁で、自身の美意識による独自の画風を築きました。画壇に発表した作品の多くは女性像で、家族や親しい人をモデルに描かれています。写実より、その人の気配や雰囲気に主眼が置かれた表現となっています。
 昭和54年、76歳の時、類焼によりそれまでの作品の多くを失いましたが、「これは神様の意思、絵はこれから描けばよい」と言い、水彩画「野の花シリーズ」500点を描きあげました。
 深沢紅子は、90歳で生涯を閉じましたが、「深沢紅子 野の花美術館」は、彼女が子供の頃に遊んだ中津川辺に白く清楚にたたずみ、穏やかな彼女の人柄を偲ばせています。  
      (岩手経済研究2005年2月号で紹介) 

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■ 太田家住宅(太幸邸) 〜前沢町〜
   

          
 「太田家住宅(太幸邸)」は、胆沢郡前沢町七日町にあり、JR前沢駅から徒歩約5分の場所に建てられています。同住宅は、平成9年9月2日に岩手県指定有形文化財となりました。指定された文化財は、明治25年に4代目幸蔵が建てた総2階の土蔵、明治43年に5代目幸五郎が建てた近代和風建築の主屋(130坪)、および庭園(大正2年から13年間費やして造られた武学流の意匠の庭園)、大正8年に盛岡銀行前沢支店開業に備え建築された旧銀行、表門、前座敷、炊場、西側の塀、の7棟です。これらの建物群は、1600坪の敷地に配され、明治期富裕層の屋敷構成を残す貴重な文化財となっています。

 「太幸邸」という名の由来は、太田家が初代当主から4代目まで「幸蔵」を襲名し、屋敷を建てた5代目幸五郎、庭園を造った6代目幸郎と続き、みな「幸」の字がつくことから、太田の「太」と合わせた愛称です。
 幸五郎による屋敷の普請は、日露戦争の不況と明治35年、38年の大凶作による地元の救済事業として、用材、職人、人夫などを地元および県内で賄い「お金を還元させる」という方法がとられました。幸五郎は、当時の県内各種銀行の取締役、監査役を歴任、岩手県農工銀行頭取に就任したほか、岩手殖産銀行(現在の岩手銀行)創立時の監査役に選任されるなど、岩手県経済界の重鎮として、広く名を知られました。
 庭園には、大正4年に白鳥館(平泉の文化遺産)から移築した樹齢450年以上とされる古梅(前沢町天然記念物)があり、毎春薄い紅梅の花を咲かせています。
      (岩手経済研究 2005年1月号で紹介) 

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