いわてウォッチング

2011年1月号〜 2011年12月号

■ 猊鼻渓                             〜一関市〜           (2011年12月号)

■ 岩手銀行中ノ橋支店       〜盛岡市〜           (2011年11月号)

■ 龍泉洞               〜岩泉町〜           (2011年10月号)

■ イギリス海岸            〜花巻市〜           (2011年9月号)

■ もりおか歴史文化館        〜盛岡市〜           (2011年8月号)

■ 観自在王院跡           〜平泉町〜           (2011年7月号)

■ 五葉山         〜釜石市・大船渡市・住田町〜    (2011年6月号)

■ 奥州市立後藤新平記念館   〜奥州市〜          (2011年5月号

■ 石割桜                 〜盛岡市〜            (2011年4月号

■ 盛岡市子ども科学館       〜盛岡市〜          (2011年3月号

■ 盛岡てがみ館           〜盛岡市〜          (2011年2月号

■ 早池峰山        〜花巻市・宮古市・遠野市〜     (2011年1月号

            

 

■ 猊鼻渓 〜一関市〜

 

   猊鼻渓

 

 日本百景の一つに数えられる猊鼻渓は、一関市東山町を流れる砂鉄川が石灰岩を浸食してできた渓谷で、その長さは約2キロメートルにわたっています。川岸には高さ100メートルを越す絶壁がそびえ、春には自然の山藤が咲く「藤岩」や渓谷出口近くには獅子の鼻に似た岩で猊鼻渓の由来となった「獅子ヶ鼻」などの奇岩怪石が特徴です。1923年に岩手県で最初に国の名勝に指定されました。

 ♪清き流れの砂鉄の川に

      舟を浮かべて

         さおさせば・・・

 猊鼻渓の名物でもある船頭が唄う「げいび追分」を聞きながらの舟下りは日本で唯一の手漕ぎ往復運行で一年を通じて行われています。春は藤の花、夏は新緑、秋は紅葉、冬は雪景色と訪れるたびに違った表情を見せてくれます。

 なかでも12月から2月までの冬期間には屋形船にこたつを設置した「こたつ舟」を運行しており、熱々の「木流し鍋」は寒さを忘れさせてくれます。絶壁が雪で覆われた光景はまさに水墨画の世界。非日常的な空間が辺り一面に広がります。

 福・縁・寿・運・願・愛・恋と書かれた「運玉」と呼ばれる素焼きの粘土玉を大猊鼻岩の「願掛けの穴」に投げ入れると願いが叶うと言われており、近年、パワースポットとしても注目されています。

                                        
(岩手経済研究2011年12月号で紹介)

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■ 岩手銀行中ノ橋支店 〜盛岡市〜

 

   岩手銀行中ノ橋支店

 

 盛岡市街の東西を結ぶ中ノ橋のたもとに位置し「赤レンガ」の愛称で親しまれている岩手銀行中ノ橋支店は、今年で築100周年を迎えました。

 レンガの赤を基調に、アクセントとして施された花崗岩の白いラインと緑色のドーム屋根の組み合わせが印象的で地域のシンボルともいえる建物です。東京駅などを設計したことで知られる辰野金吾氏と岩手県出身の工学博士・葛西萬司氏の2人によって設計され、当初、盛岡銀行本店として明治44年(1911年)4月に完成しました。

 建物の構造はレンガ造鋼板葺の一部3階建、延べ面積は1020uに達し、約91万個の盛岡産レンガが使われています。外観は「辰野式」の特徴でもあるルネッサンス様式で統一され、建物の重厚さが表現されています。建物内部は1,2階が吹き抜けで2階には回廊をめぐらしており、天井に施された漆喰装飾や四方の柱に見られる彫刻などの装飾から明治時代の豪華でモダンな雰囲気が感じられます。

 昭和11年には岩手殖産銀行本店として新たにスタートし、昭和35年1月の行名改称により岩手銀行本店、昭和58年11月に銀行の本店移転に伴い中ノ橋支店となり現在に至っています。また昭和52年に盛岡市の保存建造物第1号の指定を受け、平成6年には現役の業務用店舗として初めて国の重要文化財に指定されました。

 建物の老朽化に伴い文化庁が進めている調査・修復事業に対応するため、来年6月をめどに支店機能を移転することとなりました。建物の支店としての役割は終えますが、赤レンガの洋館は地域のシンボルとして生き続けます。

                                        
(岩手経済研究2011年11月号で紹介)

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■ 龍泉洞 〜岩泉町〜

 

   龍泉洞

 

 龍泉洞は下閉伊郡岩泉町のほぼ中央の宇霊羅山の東麓にある鍾乳洞で、秋芳洞(山口県)、龍河洞(高知県)と共に日本三大鍾乳洞の一つとなっています。

 全長5`以上に達すると推定される洞窟内には、長い年月をかけてできた鍾乳石や石筍が多数みられるほか、ニホンウサギコウモリやテングコウモリなど5種類のコウモリが生息しており、洞窟とともに国の天然記念物に指定されています

 地底から湧出する清冽な水が複数の地底湖を形成しており、現在3つの地底湖が一般公開されています。これらの地底湖は世界でも有数の透明度を誇っており、引き込まれそうな深い藍色からドラゴンブルーと称され、鍾乳洞の乳白色と地底湖の深い藍色とのコントラストが幻想的な世界へと誘います。

 龍泉洞を観光用の鍾乳洞として整備し町営化されてから今年で50周年を迎え、1月から大規模な改修工事を行い4月にリニューアルオープンしました。その目玉は洞内照明のLED化で、シャープな光となったことで洞内の陰影をくっきりと映し出し、色鮮やかな光の空間演出によりこれまで以上に神秘的な印象を与えています。LEDの特性によって発熱や紫外線が大幅に削減されたことでコケ類の発生が抑制され、洞内の自然環境が保全されるほか、消費電力の大幅な削減やCOの排出量削減にもなり、以前より自然に優しくなっています。

                                        
(岩手経済研究2011年10月号で紹介)

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■ イギリス海岸 〜花巻市〜

 

   イギリス海岸

 

 イギリス海岸は花巻駅から東へ約2`、北上川と猿ヶ石川の合流点から南にかけての北上川右岸に位置し、宮沢賢治の短編「イギリス海岸」の舞台として描かれたほか、「銀河鉄道の夜」ではプリオシン海岸のモデルとして登場するなど、多くの作品に影響を与えた場所として知られています。

 泥岩層が露出している様子がイギリスのドーバー海峡に面した白い崖に似ていることから賢治が命名したもので、花巻農学校教員時代には生徒たちとこの地をよく訪れたそうです。

 平成18年には国指定名勝「イーハトーブの風景地」(鞍掛山、狼森、七つ森、釜淵の滝、イギリス海岸、五輪峠、種山ヶ原)のひとつに指定され、毎年全国から多くの観光客が訪れていますが、現在では川底の侵食や、北上川の水位安定などによって、水面上に泥岩層が露出する機会が少なくなっています。

 そうしたなか、平成19年から賢治の命日である9月21日に一日限定でイギリス海岸を出現させようという試みが行われています。これは、発電事業者等の全面的な協力のもと、国や県が管轄する五つのダム(四十四田ダム、御所ダム、田瀬ダム、綱取ダム、早池峰ダム)の放水量を抑え、川底の泥岩層が見えるようにするというものです。

 過去4年間の試みでは降雨により川の水位が下がらなかった年もあるなど、当時の姿を完全に再現するまでにはいきませんでした。

 今年も9月21日にイギリス海岸出現を目指した試みが予定されています。賢治が愛した当時のイギリス海岸の姿を今年こそはっきりと見てみたいものです。

                                        
(岩手経済研究2011年9月号で紹介)

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■ もりおか歴史文化館 〜盛岡市〜

 

     
盛岡歴史文化館

 

 「もりおか歴史文化館」は盛岡市内丸の旧県立図書館を改装、増築した建物で、7月1日にオープンしました。

当館は盛岡市の歴史や文化に関する資料を展示するとともに、まちなかの情報を提供する施設です。博物館の基本的な機能のほか、まち全体をミュージアムとして捉え、地域活性化の拠点施設としてまちなか観光や盛岡ブランドの紹介・浸透、新しい盛岡の暮らし文化の創造を担っていきます。

 1階は「観光交流ゾーン」で、観光客や市民を迎え、人々の交流を図り、まち歩きを楽しむための4つのコーナーで構成されています。アテンダントが市内の見どころなどを紹介する町なか情報センターや高さ9メートルの山車が展示されている山車展示ホールのほか、祭り常設展示室、祭り企画展示室があります。

 2階は歴史常時展示室「歴史と文化の回廊」として、盛岡の歴史や文化に触れる6つのコーナーで構成されています。城下町成立の背景と城・城下町、盛岡の近代化など、盛岡藩主南部家の資料を中心に展示し、城下400年の歴史をたどることができます。

                                        
(岩手経済研究2011年8月号で紹介)

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■ 観自在王院跡 〜平泉町〜

 

        

観自在王院跡

 6月にパリで開催された世界遺産委員会で、「平泉の文化遺産」は世界遺産へ正式に登録されました。
 「平泉の文化遺産」は、平安時代末期に奥州藤原氏四代が、およそ100年にわたり独自に発展させた仏教寺院・浄土庭園などから成り、中尊寺、毛越寺、観自在王院跡、無量光院跡、金鶏山の5資産で構成されています。
 「観自在王院跡」は、毛越寺の東に隣接し、藤原氏二代基衡の妻が建立したと伝えられています。観自在王院は阿弥陀の寺という意味で、かつては大阿弥陀堂と小阿弥陀堂がありました。現在、境内一帯は広大な史跡公園となっており、南門跡、西側土塁、西門跡などが整備されています。美しい芝生の中ほどに復元された舞鶴が池には、中央南寄りに中島、西岸に荒磯様の石組、その北側に巨大な石組があります。平安時代の作庭技法で造園された舞鶴が池は、規模は小さいですが、当時は第一級の浄土庭園であったといわれています。
 境内西側の毛越寺との間には石敷きの広場があり、そこには牛車を止め置いた車宿(くるまやどり)の跡も見られ、往時の賑わいを彷彿とさせます。
 敷地の北隅には基衡の妻の墓があり、春の藤原まつり期間中の5月4日には、この場所で基衡夫人を追悼する奇祭「哭(な)き祭り」が行われます。      

                                         
(岩手経済研究2011年7月号で紹介)

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■ 五葉山 〜釜石市・大船渡市・住田町〜

 

        

五葉

 「五葉山」は釜石市、大船渡市、住田町にまたがる北上山地南部の山で、三陸沿岸の最高峰(標高1351メートル)です。五葉山とその南に連なる準平原の一帯は、県立自然公園に指定されています。
 五葉山は北上山地の中で最も海に近く、その山頂からは、今回の東日本大震災で甚大な被害を受けた三陸のリアス式海岸を一望できるとともに、内陸の方角には早池峰山や岩手山を望むことができます。
 五葉山の山名は、江戸時代に伊達藩が、この山のヒノキアスナロやコメツガなどを重要な森林資源として、藩の「御用山」としたことに由来するともいわれています。
 太平洋側の裾野には、アスナロなどの自然林が残り、貴重な植生となっています。中腹の赤坂峠付近では、5月上旬に開花するムラサキヤシオなどのツツジ類が多く見られ、秋にはコミネカエデの紅葉も楽しめます。五葉山の固有種であるゴヨウザンヨウラク(ツツジ科)は、石楠花荘(避難小屋)からの登山道沿いの林床に、6月中旬から下旬にかけて紅色を帯びた黄色い花を咲かせます。山頂付近には、7月中旬に開花するハクサンシャクナゲの群生が広がり、自然の大庭園を堪能することができます。
 また、自然公園全域が鳥獣保護区となっており、ニホンカモシカ、ニホンザル、北限のホンシュウジカなど貴重な動物の姿を目にすることもできます。      

                                         
(岩手経済研究2011年6月号で紹介)

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■ 奥州市立後藤新平記念館 〜奥州市〜

 

        
後藤新平

 

 「奥州市立後藤新平記念館」は奥州市の中心部にあり、奥州市役所の斜め向かいに位置しています。
 本館は、満鉄総裁・内相・外相・東京市長などを歴任した後藤新平を顕彰する記念館であり、昭和53年9月に開館、後藤新平の遺品や関係資料を収蔵・展示しています。
 後藤新平は、1857年(安政4年)に現在の奥州市で生まれ、福島県須賀川医学校を卒業後、愛知県病院長を経て内務省に入りました。その後、自費でドイツに留学、台湾総督府民政長官、満鉄初代総裁を経て、明治41年に初めて大臣となり、逓信・内務・外務大臣として活躍しました。
 大正9年に東京市長となり、東京を近代都市化するため、国家総予算が15億円という時代に8億円もの規模の計画を立てたことから、「大風呂敷」の異名をとりました。
 東京市長辞任後、大正12年に関東大震災が起こり、後藤新平は帝都復興院総裁として東京の復興にあたり、世界で初めて区画整理を基本とする都市計画を推進しました。後藤新平は単なる大風呂敷ではなく、実態調査、計画、実行の合理性をもって実践した政治家であり、後世に高い評価を受けています。      

                                         
(岩手経済研究2011年5月号で紹介)

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■ 石割桜 〜盛岡市〜

 

        
石割桜

 

 巨大な石の割れ目から、樹齢360年を超えるといわれる老木が花開く「石割桜」は、盛岡市中心部の官庁街の一角、盛岡地方裁判所の正面玄関前庭にあります。
 ここは、かつて盛岡藩主南部家の家老であった北家の屋敷があった場所とされています。石割桜は、庭石の割れ目に桜の種子が落ち込んで芽を出し、生育につれ石の割れ目を押し広げてきたといわれています。大正12年(1923)、国の天然記念物に指定されました。
 石割桜は、周囲23mともいわれる巨大な花崗岩を真っ二つに割って逞しい幹を伸ばして咲き、幹の周囲約4m、樹高約10mという見事なエドヒガンザクラです。
 昭和7年(1932)、裁判所が火災に見舞われた際、庭師の藤村治太郎翁が身に着けていた半纏を水で濡らし、濡れた石で足を滑らせ怪我をしながらも石割桜を守ったという話が今も語り継がれています。庭師の石割桜を思う心とともに、盛岡市民に大切に守り育てられてきました。
 毎年、石割桜の雪囲いの作業風景が、季節の移り変わりを実感させる盛岡の風物詩として話題になります。そして、雪囲いを外す庭師の仕事風景は、待ちわびた北国の桜の咲く季節の到来を告げています。               
 石割桜の開花は4月中旬〜下旬頃、盛岡市内では一番早いといわれています。もうすぐ春爛漫、桜の季節を迎えます。            

                                         
(岩手経済研究2011年4月号で紹介)

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■ 盛岡市子ども科学館 〜盛岡市〜

 

        
子供科学館

 

 「盛岡市子ども科学館」は盛岡市本宮に位置し、盛岡駅西口より車で約3分の距離にあります。
 当館は、子どもたちが楽しみながら科学技術に興味を持ち、理解し、「科学する心」を養うことを目的として、昭和58年5月5日に開館しました。
 科学の旅をイメージした展示室は、三つの空間より構成されています。「出発の空間」は、夢とふしぎ、遊びと工夫をテーマとした広場です。「発見の空間」は、科学の原理、人間の生活と科学・技術をテーマとした広場です。「情報の空間」は、コンピューターの様々なソフトを活用した広場です。
 サイエンスドームには、コンピューターグラフィックス(CG)を360度の大型ドームスクリーンに投映することができる、最新鋭のプラネタリウムが設置されています。当館職員が直に解説する「今夜の星空案内(3月のテーマは『しし座』)」や、シーズン企画として「ギリシャ神話と冬の星空」、「宇宙クイズ王選手権ダークキングからの挑戦状」など、様々な投映を行っています。
 毎週日曜日および祝日には、簡単な工作や実験を体験できるワークショップや、第一・第三日曜日には科学実験などのサイエンスショーを開催しています。

                                         
(岩手経済研究2011年3月号で紹介)

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■ 盛岡てがみ館 〜盛岡市〜

 

        
盛岡てがみ館

 

 「盛岡てがみ館」は、「プラザおでって」(盛岡市中ノ橋通にあり、JR盛岡駅から徒歩で約15分、中津川に架かる中の橋のたもとに建つ6階建ての複合施設)の6階にあります。
 当館は、盛岡に縁のある著名人やその関係者の書簡(てがみ)、原稿、日記などの資料を、市民の共有財産として後世に残すために設けられました。てがみは、執筆者の知られざる素顔をのぞかせながら、その時代の息吹を鮮やかに伝える第一級の遺産です。
 昨年10月13日から本年2月14日まで、企画展「命かがやく女性のてがみ〜しとやかに清らかに凛として〜」が開催されています。高峰秀子、長岡輝子、深沢紅子をはじめ総勢14名の書簡が展示されており、女性がしたためた手紙から、その繊細で潤いのある感覚と、しなやかで気丈な生き方が映し出されます。
 併せて開催されているテーマ展では、石川啄木に縁のある人々の資料が展示されています。また、金田一京助の長尺の書簡、高村光太郎の原稿、宮沢賢治の手紙などが常時公開されています。
 

                                         
(岩手経済研究2011年2月号で紹介)

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■ 早池峰山 〜花巻市・宮古市・遠野市〜

 

        
早池峰山

 

 「早池峰山」は花巻市、宮古市、遠野市にまたがる、北上山地の最高峰(標高1917m)です。早池峰山は中岳、鶏頭山、毛無森などからなる早池峰連峰の主峰でもあり、古くから山の神や水の神、海上守護神として崇められ、信仰の対象とされてきました。
 早池峰山の北側は稜線近くまで樹林帯に覆われていますが、南側は対照的に、急峻な岩稜帯となっています。非火山性の山で、地質は古生層に属し、蛇紋岩のゴツゴツした岩肌や多くの岩峰が印象的です。
 早池峰山は、高山植物の宝庫として全国に知られる花の名山でもあります。ハヤチネウスユキソウやナンブトラノオ、ナンブイヌナズナなどの特産種や希少種も多く、標高1300m以上の高山植物帯は特別天然記念物に指定されています。
 山麓の花巻市大迫町にある早池峰神社は、大同2年(808年)、大迫の猟師が東根獄(早池峰山の旧称)の山頂に御堂を造り本宮とし、東根獄大明神として祀ったのが始まりと伝えられています。神社に奉納される早池峰神楽は国の重要無形民俗文化財に指定されており、岳と大償の2つの神楽からなります。早池峰神楽は、平成21年9月、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録されました。
 

                                         
(岩手経済研究2011年1月号で紹介)

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