「新しい公共」を考える
「明日の地域づくりを考える会」連続シンポジューム第五回

   2003年5月10日



シンポジューム記録

1. 発題   <丸山 暁>

1-1 公共という概念、公共事業と住民・市民
1-2 公共工事を止めた住民・市民運動「宍道湖中海干拓、オーストリアの脱ダムの例」

2. 話題提供<渡辺 基>
「ソイビーンズ滝沢」に対する住民運動の経緯、滝沢村の対応など

2-1 「ソイビーンズ滝沢問題」の発生と住民としての気づき
2-2 役場と議会の馴れ合い、議会と住民の乖離、いい加減な事業計画
2-3 村内産大豆の振興策必要なのに、アメリカ大豆を使う矛盾
2-4 「ソイビーンズ問題を考える会」の発足、情報公開の要求と参加企業のいい加減さ
2-5 滝沢村の役割、でたらめな出資計画、債務の問題
2-6 説明なきまま突然の「ソイビーンズ滝沢」撤回表明
2-7 村の、行政のあるべき姿

3. 発題、話題提供を受けての全体討論

3-1 情報公開について
3-2 議会の閉鎖性、公開性、パブリックコメントの現状
3-3 情報公開の方法、住民参加の難しさ
3-4 住民主体の「まち・むらづくり」
3-5 情報公開の質の問題、ディスクローズとディスカバー
3-6 情報公開の質、メリットとデメリット、行政の役割、公共の姿
3-7 公共事業の地域性、効果・価値の多様性
3-8 議会制民主主義における市民の役割、新しい行政、住民参加の仕組みの必要性



1. 発題   <丸山 暁>


1-1 公共という概念、公共事業と住民・市民
丸山 今日は、お天気の良い土曜日に、お集まりいただきありがとうございました。私達「明日の地域づくりを考える研究会」というメンバー5・6人で、このような「公共」であるとか「公共事業のあり方」などをテーマにシンポジュームを始めて数年たつのですが、今日は、その5回目ということで、そのメンバーのひとりである、私、丸山暁がコーディネーターをやらせていただきます。私は、大迫の山奥で小さな設計事務所をやっています。そして、今日、話題提供ということでやらせていただきます。
滝沢村でソイビーンズという大豆の加工の事業をやっていこうという動きが起ってきた。その件で、新聞を読んでいて、岩手日報でしたが、私がびっくりしたのは、滝沢問題が出てきたぞと。その2・3日後に反対運動が起ったぞと。また、すぐその数日後に、町が計画を撤回したと。という事は、何だか訳が分らない間に、「やるぞ、住民の間に動きが起ったぞ、町が計画をやめたぞ」と、それが1週間位の間に起ってしまったわけですね。それを見ていて、「あれ、公共工事って何なんなのかなあ。計画って何なのかなあ。」と、「それについて住民が質問した時に、答えられなかった行政って何なのかなあ。」と関心を持っていました。

渡辺さん、ご紹介いたしますが、元岩手大学の教授をなさっていまして、今、滝沢ソイビーンズを考える会の代表をやっていらっしゃる渡辺先生です。今回、新しい公共を考えるのに良い話題ということで、お招きしました。
では、イントロとしまして、メモ書き程度に書いてありますが、「シンポジューム新しい公共を考える」を10分位話したいと思います。私なりに、いろいろなものを勉強していて思いますのは、「公共」というのは、非常に難しいということです。「公」と言った時に、まず「国とか行政」ととらまえるし、「私」という場合には、個人である私。その中間にあるのが「共」なのかなという、一つの考え方も出来ますが、そこに来るまでに、市民とは何ぞや、国家とは何ぞやということ。そのあたりからの流れというものが一つあるのかなと思っています。

今、我々は、公共事業に対して発言出来る様になった。アクセス出来るようになった。だけれど、明治・大正・昭和にかけて、つい最近まで、所謂、お上のやることに対して、市民が何がしかの発言をするチャンスもなかったわけだし、逆に、ある意味、高度経済成長期、戦後の混乱期は、道路でも橋でも電気でも、とにかく必需品であった。必需品を作る間は、我々、市民もどんどん作って下さいという視点だったのだろう。だから、そういう意味で、「公共工事」は、日本の中でもまちがいではなかった。必要な物は作られてきた。
ここまで来た時、「公共」という概念が、我々、日本国民のためだけにあって良いのか。地域の住民のためのダムならば良いのか。電気の需要を増やすために何がしかが必要なのか。自分の家が便利になるために道路を作る必要があるのか。その自分にとってどうなのかという考え方から、もうひとつ環境にとってどうなのかと考えること。例えば、道路1本出来ることにより、道路・土木に拘ってしまいますけれど、ある施設を作ることが、自分たちの個人の利益になるのかというものと、もう一つ、社会全体・地域全体、場合によったら日本全体。ここまで、ここまでグローバル化してくると、地球にとってどうなのかというところまで、概念が広がってきたのではないか。ですから、公共工事や、「公共」ということを考えるにも、今の時点であるから考える「公共」であり、今から未来に向けて考える「公共」という、新しい概念が必要となってくるのではないだろうか。

例えば、自由の国アメリカと言われている所でも、1960年頃までは、黒人には公共という場に対するアクセス権はなかった。完全に差別されていた。あの自由と言われている国ですら、そうだった。ヨーロッパでも貴族社会があって、本当に、全員が全ての場にフリーにアクセスできるか、すべての空間を共有できるかというと、これはできない。今でも、世界中がすべてに開かれた「公共」であるのかというと、やはりそうではない。それぞれの国の事情なり、歴史の事情なり、社会環境によって、公共の概念自体、それ自体が変動しているものと考えています。

ひきんな例をあげると、ゲイの問題がある。ゲイは、20〜30年前までは、ほとんど忌み嫌われる存在。テレビに出ても、芸能のからかい半分の世界で出てきた。私達も、子供の頃、「ゲイ・ホモセクシャルなんて」という感覚を持っていた。と、言うことは、情報としても「ゲイとは何なのか」、「ホモセクシャルとは何なのか」。実は、それは、性同一性障害だった。身体的な、遺伝子的な、生物学的なものが原因であるということが分ってくれば、やはり、彼らも正当に公共の世界に入ってくる。みんなの中に入ってくる。そういう権利を持っているのではないかという解釈が、時代と共に、新しい発見に、認知により、公共概念も広がっている。今、すでに、先日の選挙の件で新聞にも載っていましたが、男性から女性になった女性が議院になった。昔なら考えられなかったことです。このへんも含めて、「公共概念」というものが広がってきているのではないか。

それから、一番とっつきやすい「公共」ということで、「公共工事」が、我々、市民にとっても、歴史的な「公共」を考える上でも、大きく位置付けられてきただろうと考えています。また、市民活動・反対運動というのは、今に始まったことではなくて、少し年配の方ならば御存知でしょうが、田中正造。所謂、足尾鉱毒事件、谷中村の遊水地。今で言えば環境問題ですね。ひとつの集落を、すべて移転して、足尾鉱山から出た、害毒をいったん貯める。松尾村の鉱山も、同じような形態だろうと思いますが。そういう足尾鉱毒事件という、その遊水地から立ち退きされる住民のサイドに立った三百代言、あの頃弁護士を三百代言と言いましたが、田中正造という弁護士が、身命をかけて、一生をかけて、家族崩壊まで省みず、戦い抜いて、結局は、谷中遊水地は出来てしまったのですが。そういう日本の住民運動の教祖みたいな人は、明治時代からいる。

最近は、環境問題であったり、長良川河口堰問題であったり、住人と個人、市民という概念が、いろいろな意味で流動的になってきて、「よその地域の事は、我々は、知らんぞ。」というような見方から、日本全体で起こっていること・自分の地域で起こっていることを、先ほどの繰り返しになりますが、自分の利権に関係ないことであっても、自分達が意見を述べよう。自分の私利私欲ではなくて、公共のためみんなのため。大きく言えば、世界のため。私達も、何か発言しよう、活動しようという動きが、今、出てきているのではないだろうか。


そういう意味では、日本は遅れていると、よく言われますが、私がいろいろなところで感じるのは、決して遅れてはいないなと思っています。ある意味、アメリカよりも進んでいる部分があるのではないか。ヨーロッパよりも進んでいる部分があるのではないか。というのは、まだ、日本は混沌としているのではないか。ここまで、経済が発展してきて、いろいろな物が満たされてきた。

ここまで来た時に、初めて、「では、私達は、何を考えなければいけないのか?」・「これから本当に、持続可能な社会が在り得るのか?」。そういう事を、本当に、いい時期に考えるチャンス。ある意味、最後のチャンスかもしれません。それを、我々は与えてもらったのかなと思います。


例えば、これが、東南アジアのごとく、皆さんが本当に貧しい生活をしている中で、「世界のため。環境のため。」と、果たして、運動が起こせるのか。いや、起こしている人もいますが。そういう意味では、いい時期に、ドラスティックな社会変革を必要とする時期に、又、我々が動きうる良い社会に、今、いるのかなと。そういう意味では、希望を持っています。


1-2 公共工事を止めた住民・市民運動「宍道湖中海干拓、オーストリアの脱ダムの例」
公共工事の事例、3番目として書いてあります。

今日のひとつの主要テーマですが、一つは、宍道湖の中海干拓。島根県ですが。ここは、松江のきれいな湖です。ここを堰き止めて淡水化しようという動きが、1963年に起り、それに対して、当然、住民・漁民から環境的にも反対運動が起こってきた。これが、ただの反対運動だけならば、中止になったのかというと、ここで、市民・大学の先生などの知識人。知的とか知識人という言葉は、あまり好きではないのですが。しかし、技術的・科学的な分析の出来る人達、論理的に説明出来る人達が、反対運動の中核成していった。

そういう中から、漁民と住民が、自分の自腹を切って、「財団法人 宍道湖中海秘水研究所」というのを作ったわけですね。ここで、化学分析とか事業分析をした。資金もあったし、エネルギーもあった。これが、必要な公共工事。お上は力を持っているし、コンサルに頼めば、計画も設計も出来る。それに対して対案を出すための、住民サイドも研究機関を持った。これが、非常に大きかったのではないかと思います。

それから、事例2として、「脱ダム」で話題になっているドナウ河の問題。ドイツもそうですが。この「脱ダム宣言」というのも、ヨーロッパの河川というのは、ドイツ・フランス・スイス・オーストリア。あちこちをうねりながら流れていて、一国の問題では、解決しない。日本の河川の場合は、日本だけで解決出来るのですが。ヨーロッパのような河川の場合には、国際河川と表現するのですが、そういう河川の場合どうするかというと、ダムを作って電気をいっぱい欲しいなというオーストリアの政府の考えはあった。だけど、それが出た時に、オーストリアでダムを作って水を堰き止めた場合に、下流側にとってどうなのかという、所謂、自分の国の利益よりは、よりと言うより、同等。自分達の国の利益と同等に、他の国に対する水環境。つまり、自然環境がどうなるのかということを、市民が考え出した。

そのことが、ひとつの引き金になってWWF(世界自然保護基金)、生物学者のローレンスが活動を始めた。「緑の党」や自然保護団体、市民の団体を取り込んでいき、反対運動が起った。結局、「反対。反対。ダムはダメだ。」ではなく、ダムを作り発電をして、水を取水して氾濫を止めて、環境を守るという、人間の環境を守るという方策と、川自体が持っていた自然の貯留機能。氾濫した時には、それが自然のダムになる。それから、氾濫原は、生物の生息地になる。環境になる。

まあ、これも自然のためと言いながら人間のためなのかもしれませんが、どちらが、我々、社会にとって地球環境にとって良いのかということを、慣例的に感情的に戦いあったのではなくて、科学的に技術的に分析をした。そして、氾濫した時には、何千億の損害はあるよと、しかし、それは、ダムを作る時よりもコスト的にも、ローコストですむ。そこまでの分析をやった上で、では国民の皆さんは、我々の国での、これからの治水はダムに頼るのか。それとも、氾濫原を考えながら、自然に川を戻していくのかと問うた時に、科学的分析や技術的分析を住民に公表して、お互いに議論しあったから、ひとつの「脱ダム」という方向が、国の政策として成し得たのではないか。

これが、ただの反対運動という形であったならば、論理的・技術的に力を持ち、場合によれば、国家権力という大きな、武力・兵力まで持っているものに、押しつぶされた可能性もある。20年・30年前の成田闘争とか、公害闘争などは、ほとんど暴力的・武力的に死人まで出しながら遂行されてきたという事実があるわけですね。これは、日本だけではないと思います。

それで、4番目の「新しい公共」というのは、そういう事も含めて、公共事業だけではないだろう。これから、考えていくのは、環境ということを考えれば、我々の身の回りの事から地球規模のことまでを考えていくのが、我々にとっての環境というものをとらまえるエリアであり、テリトリーではないか。あくまでも「公共工事」という目の前の現象。これも大事。これは、市民のレベルとして大きな目で見ていく。もうひとつは、広い地球規模の視点でも、我々は考えていかなければいけないのかなというところで、私の発題とさせていただきます。後で、また、議論をお願いいたします。では、渡辺先生、お願いします。




2. 話題提供<渡辺 基>
「ソイビーンズ滝沢」に対する住民運動の経緯、滝沢村の対応など


2-1 「ソイビーンズ滝沢問題」の発生と住民としての気づき
渡辺 渡辺と申します。岩手大学で、私の専門は、農業経済でして、研究しながら講義もしてきたわけです。長い何十年間にわたってそういう事をしてきたわけです。たまたま現在の農業問題について、いろいろ考えを持っていたわけですけれども、その時に突然に起ったのが、「ソイビーンズ滝沢」。会社を作るという話を知りまして、その話を知ったのが、みなさんのお手元に配布した朝日新聞の2月2日の記事で、我々は知ったわけです。私も知ったわけです。滝沢で大豆加工の第三セクターを設立すると。この記事を読んで吃驚したわけです。

私は、滝沢に7年以上住んでいますけれども、滝沢村というのは、自然もあるし農業も、農家の方も多いし、良い所だなと。自然の豊な所だなと、そういう形で、滝沢村の役場の対応も、住民に対して、非常に親切であるという印象を持っていました。良い村だなという感じで、その村がどういう事をやっているのか、やってきたのか、あるいは、これから、やろうとしているのか。いわば無関心で、村にお任せという形で暮らしてきたわけです。その滝沢村が、何かとんでもない事を始めたのではないかと、記事を読んで吃驚したわけです。

みなさんも経過については、御存知だと思いますが、プリントで経過について。行政側の経過がどういう事だったのかという事について、年月日順に書いてあります。それに対する、準備会の設立というのが三番目に書いてあります。これについて、我々は2月2日に「ソイビーンズ滝沢」の問題を知ったわけですけれど、実は、その話は、行政側の経過というところを見ますと、平成13年4月から始まっている。役場の内部で、5月から検討が始まって、7月には事業化することが決定している。8月には議員に、全員協議会という形で説明がされたそうです。勿論、これも後で分ったことですけれど。全員協議会と言うのは、私は良く分りませんが、議事録があるかと聞いたら、全員協議会だから議事録はないと、こういう話でした。まあ、議会でやらないで全員協議会で、内々に議員に話をしたということのようです。

10月には、役場管理職員と議員に、ソイビーンズの会社設立についての方針を説明した。それから、どこに工場を建てるかということにつきましても12月にやっていまして、当初、計画をした土地が具合が悪いということで、別の場所を決めた。15年の1月には、経営会議で、経営会議というのは、役場の中の幹部職員の会議のようですが、事業化を最終決定した。1月8日には、議員に説明しています。そういうことで、役場の中と議会で、内々に話を進めまして、勿論、村の我々は何も知らない。これは、後で思ったのですが、議員も聞いていても、村民にこれを説明しようとか知らせた議員はいない。議員も議会も村の人に知らせようという努力を全くしていない。そういう問題があったということが、後で分ったわけです。


2-2 役場と議会の馴れ合い、議会と住民の乖離、いい加減な事業計画
 どういう形か分りませんが、議会で説明が繰り返される中で、2月2日に朝日新聞の記者が、この情報をキャッチして公表したということです。朝日新聞の記事で、ほとんどの問題は出尽くしていると思います。要するに、議会には相談したけれども村民には黙っていろということを議員に要請し、議員がそれに従ったということ。

その問題点。要するに、村民に秘密で、ことを進めてきたということと、その話の内容が、また凄まじい内容で、村が55%の出資をすると。会社設立の資金を銀行から借りる、その債務保証を村がする。17億5千万円。2750万円というのは村の財政にとっては大した事ないかもしれませんが、債務額17億というのは、かなりの高額であると。村が55%の出資ですから、連帯補償をするにしても、半分以上を村が補償することになるのではないか。これも本質的な問題は分りませんが、他の会社が補償しないのならば、村が全部被るのかなと。要するに、莫大な税金を使って会社を設立する。村が55%という事ですから、勿論、社長も出すだろうし、運営の基本的な責任を村が負う。村営会社。第三セクターというのは、公共と民間が共同で会社を作る。その中心を誰がやるのかは、出資割合によって決まるのでしょうけれど。ソイビーンズの場合には、村が責任を負うという形をとっているわけです。

これも非常に、問題があるのではないかと思ったのです。つまり、多額の税金を使った会社を設立する理由としては。これはこの記事を読んだ後で、議員に聞いたのですが、確かにそういう事はあったと。議員は、すでに文書を村からもらっているわけですね。会社の設立の計画・実施計画・収支計画。その収支計画を見せてもらったのですが、とんでもない。利益が大きくでる計画。これは100%稼動した場合の収支計画ですと、1年間の売上が15億円。15億円のうち、営業利益が9億円だというのでね。15億売って、9億儲かるというのですね。営業利益というのは、直接の償却費・原料費・人件費をひいた後の営業利益。1年間に、営業利益が9億円あがって、さらに準利益が5億円になる。あとの4億円は、利子の支払いや営業経費・販売経費。そういったものを引いた利益で5億円儲かると。5億円儲かるから、計画としては、7年間続けまして、7年位の計画は組んであるのですが、その利益で、借金が、工場を建てる時に、18億くらいの工場建設費がかかるわけです。滝沢村の中に土地を取得して、工場を建設して、機械を設置して。借金をするわけですね。借金が7年間で返済出来るという計画なんですね。

7年間で35億の利益が出るわけですから、18億返済して、なお十何億儲かるという計画なんですね。村長の説明では、非常に儲かると。そもそも、村が何故この計画をしたのかというと、非常に儲かる事業だから、準利益が5億円あがって、なお半分位は村にも入ってくるよと。その村に入ってくるお金で、村独自の投資が出来るのだと。村が会社で儲けて、村がそのお金で、何か事業をやるのだというのが、計画をした理由だと言っているわけです。つまり、これは、あくまで営利事業としてやるのです。営利事業としてやるということで、我々が分らなかったことは、それを議員たちが信じたということが、よく分からない。こんな利益の出る事業が、今の時代にあるはずがないと。そういう旨い事業があるならば、何故、事業を持ち込んだ会社がやらないのか、ということになるわけです。経営内容・経営計画について、非常に疑問があるということです。

それから、いろいろな問題を感じたのですけれど。もうひとつは、輸入大豆を使う。アメリカの輸入大豆を使って加工する。そして、滝沢村を大豆を中心に振興していくと言っているわけです。一般に、村の財政が、現在、非常に苦しくなっている。これも、分析しなければならないことなのですが、全国的に、今、財政が悪くなっている。村の地方交付金が、どんどん削減されていて、新規の公共事業などは、ストップされてきている。減額されてきている。このままでは、何かやるにしても、もう国のお金は入って来ない。だから、独自に金儲けをして、村のために使うのだという理屈なんですね。そういうことを、議会に説明して議員が反対しなかった。賛成した。これが、不可解であった。これは、2月2日の朝日新聞を見て、詳しい分析までは出来なかったわけですが、非常に誇大な収支計画・過大な利益計上をしているという問題点が出てきた。



2-3 村内産大豆の振興策必要なのに、アメリカ大豆を使う矛盾
もそもアメリカの大豆を使ってやるという。何故、アメリカの大豆を使うのかというと、日本の大豆産業の系図を見れば分りますが、日本の大豆のほとんどをアメリカから輸入しているわけです。何故、アメリカから輸入しているかというと、日本の大豆の、だいたい半値で入って来る。だから、安い大豆を使うようになって、日本国内の大豆生産は壊滅してしまった。こういう歴史を持っているわけです。そういう外国産の大豆を使うことが、現実に対して、どういう意味を持っているのかというと、ますます、日本の大豆生産というものを、圧迫することになるのではないか。

これも後になって分ったのですけれど、現に、滝沢村にも大豆生産者がいまして、滝沢村で大豆を作っていらっしゃる方は、地元の豆腐屋さんと納豆屋さんなど、製造業者に契約栽培で、大豆を作って売っているそうです。アメリカ大豆よりは、高い値段で買ってもらって細々と大豆生産をしている。滝沢村というのは、そういう農家を抱えているわけですから、そういう農家の大豆生産を、いかに振興していくかと。いかに地元の大豆加工産業を興していく。盛んにしていくか。或いは、豆腐・納豆なりを振興していくかということが、村として考えるとすれば、そういう風な考え方に立つのが普通ではないかと思っていたわけです。そういう観点が、村の提案にはなかった。

「村の大豆も使いますよ。」ということを、言ってるわけですけれども、村の大豆が、このソイビーンズによって、盛んになるということを、言ってるわけですけれども、将来は、村の大豆を使って、村の大豆も発展するのだと言っているわけです。そう言って、ソイビ−ンズの誘致をしていた。立ち上げを考えている。

私の研究者としての、或いは、農業経済の立場から言えば、日本の農業をいかに発展させるかということが、村の、地方自治体としての役割やるべき仕事であって、こうゆう輸入大豆を使って金儲けをしようというような発想は、根本的におかしいのではないかと、一番頭にきたわけです。そういうことで、周辺の人に呼びかけまして、議員も近くにいましたので、議員にも来てもらいまして、資料を見せてもらったり相談をしたわけです。


2-4 「ソイビーンズ問題を考える会」の発足、情報公開の要求と参加企業のいい加減さ
それで、分った事は、村のやり方で、これもけしからんと思うのですけれど、2月2日に朝日新聞の記事が出た翌日、2月3日に臨時議会を開き、出資と債務保証の件について議会で可決をしている。議決をしている。議決をしている時に、賛成議員が17名。反対議員が5名いました。反対議員は、私が感じたようなことを、疑問にして「はたして儲かるのかどうなのか。危ないのではないか。アメリカの大豆を使うことが良いのかどうなのか。村の大豆はどうなるのだ。」と、そのような事で質問をして反対をしているわけですけれども、大勢は、賛成してしまった。その2月2日の朝日新聞を読んで、吃驚して、これはなんとかしなくてはいけないと思い、考え始めたところで、「もう議決しちゃったよ。」と、こうゆうことですから出鼻を挫かれたのですが、反対した議員たちが、初めて動きだしまして、これは反対運動をしていく必要があると。

議会で可決はしてしまったけれども、我々は反対したと。これからみんなで反対をしていって、議決をくつがえすように頑張らないといけないということで、反対した議員と村の有志、知り合いに話をしました。このことは、とにかく、皆が知らないのだから、いったい何をやろうとしているのか村民に説明せよということを、テーマにして考える会、「ソイビーンズ問題を考える会」を作ろうじゃないかという事を決めまして、呼びかけをしたわけです。新聞折込をしまして呼びかけをしました。とにかく、村に説明会を開けと。要求の内容は説明会を開けということだけです。問題点がいろいろありそうだから。我々は、反対をする会という名前をつけなかったわけです。まだ、中身が分らないということで。非常に疑問はあるけれど。はっきりと村に説明をして欲しいという要求でやろうという事になりまして、準備会。考える会・準備会ということで、発起人を募りました。

最終的には、30名近く発起人が、賛成する人がいました。そして、その名前で村に対して申し入れをしました。申し入れをしたのは、2月18日。準備会の名前で申し入れをしました。内容をはっきり説明せよという3項目というのは、ひとつは、輸入大豆の問題。それから、収支計画の問題。もうひとつは、これも重要な問題だと思ったのですが。この大豆の計画を持ち込んだのが、京都の「豆食」という会社なんですね。この会社の実態が、何も明らかになっていない。

我々、いろいろな伝手で調べてみました。コンピューターで、会社の事業内容などをしらべたのですが、そういうところには出ていない。要するに、実績を公表していない会社であるということが分った。会社の設立した場所とか社長の名前・役員の名前は分りました。そこで、電話をかけて、「お宅の会社は、どういう会社ですか?」と聞いたところ、直接電話をかけた人の話によりますと、「いやー。滝沢という所は、素晴らしい所ですね。景色がよくて、素晴らしい所です。」という話しかしない。どういう事業をやっているかとか、事業の実績はどうかとか、いっさい答えない。まあ、そういう人だったそうです。他にもいろいろと聞いて見ました。会社の所在地の調査もしましたけれども、会社は確かにあるけれども、建物はあるけれども、工場は動いていない。何もやっていないということが分りました。豆の袋が10か20積んであって、機械は全然動いていない。

社長と役員は、親族で、奥さんと息子さんが役員で同族会社で、あてにならない会社だと。ある人によると、社長がヤマモト善太郎いう人なのですが、「あれは、悪太郎だ。」というような話もしていました。それから、灘神戸生協に問合せをしたら、そういう会社が来て、加工事業を持ち込んできたけれども、この会社は何をしているのかというと、アメリカの大豆の輸入はして、粉にして粉を売る会社。その粉を細かくする技術を持っているそうで、超微粉。特許を持っているらしい。普通は、納豆は大豆の形がないと納豆になりません。豆腐は、大豆をすり潰して作る。その粉を日本で作って、売っているのかというと、どうもやっていないらしい。

その会社は、灘神戸生協にも粉を売り込みに来たらしいのですが、灘神戸で検討した結果、そんなに細かい粉ですと豆腐は作れないそうです。これは村内の大豆加工技術者にも聞いてみましたが、あまり超微粉、細かいと豆腐にならないのだと、固まらないのでしょうかね。そういう話でした。粉で作るとすると、自然食品、豆乳で使うと。その販売計画としても豆乳として使うということで、後は、健康食品として売るのだという話でした。
その会社が日本で、出資者を募ったけれども、誰も相手にしてくれない。日本では資金調達が出来ない。アメリカに行って資金調達をした。アメリカで資金を出してくれる人がいて、アメリカで大豆の粉を作って、販売したら成功したという話を、村では聞いているということでした。しかし、アメリカで、どういう販売実績があるのか、どういう製造実績があるのか、それを今やっているのか。もう、止めてしまったのか。止めてしまったのならば、何故やめたのか。一切、データ−がない。

関連会社が何故、どういう意図で参加しているのか。豆乳にしても大豆の粉にしても、営業のノウハウというか、経験がないと売れないと思うのですが。粉にする技術を持っているのが「豆食」という会社で、販売する会社が1社か2社入っているのですが、豆乳を売っている会社ではなくてコンピューターを売っている会社が、豆乳も豆の粉も売っていますというような会社なんですね。それから、一関かどっかの土建会社が、会社に出資する。金網会社も入っています。要するに、豆の加工に関係ない会社が、いくつか入っているわけです。中心になるのは、「豆食」という会社を使わないと出来ない仕事ですから、製造については、その会社にやってもらうしかない。


2-5 滝沢村の役割、でたらめな出資計画、債務の問題

販売については、村がやるというわけにはいかない。村が大豆の粉を売ることは出来ないので、専門の会社の人にやってもらう。会社を設立して、社長は出すけれど、筆頭株主になったけれども、製造にしろ営業にしろ、一切、経験がない。村が責任をとるというから、55%ですから。そういうことが、果たして真面目にやろうとしている事なのか、信用できない。関連会社の営業実績なり、実態は明らかにしていない。関連会社の説明、アメリカ大豆を使う意味、地元の大豆生産との関係、議会で村民に対して秘密にした理由。この3つについて、説明会を開くように申し入れをしました。

その時に、村長と幹部職員と会いまして、3月1日に説明会を開くということを了承してもらいました。我々の要求した説明会だけではなく、もっと村の人に周知徹底するように、説明会を集落ごとに開けと。こうゆう要求をしたのですが、決まったのは説明会だけ。我々が疑問に思った内容について、こうゆうチラシを作ったのですが。どういうところに疑問があるのかという事を、これも新聞折込みで、全村民に。と言っても、岩手日報にお願いして。だいたい、岩手日報は、皆さん、取っている人が多いので、かなり、多くの村民に説明会をやるという事と、ビーンズ施設の内容のチラシを入れてやりました。それは、3月1日にやりました。その3月1日の説明会の内容は、この頃は、岩手日報もタイムスも書いてくれまして、いろいろ説明会についても紹介してもらったのですけれど、結局、この説明会をした時の村の答弁というのは、全然、我々の疑問に答えてくれるものではなかった。


2-6 説明なきまま突然の「ソイビーンズ滝沢」撤回表明
村の人たちが、新聞折込で集まってくれまして、130人。100人以上来たと思います。そこから、村に対する厳しい質問が続々と出ました。それに対して、答えはしましたけれども、疑問には答えてくれなかった。その後に、準備会を「考える会」にし、結成することに決めまして、村に対して白紙撤回を要求するということを言いました。
それに対して、村が急転直下。村が議会を開きまして、3月4日、村長が計画撤回表明。だから、説明会が終わった時に、村長は止める決心をしたのではないかなと思います。何故、村長が止めたかというのが、問題なのですけど。要するに、我々の指摘が正しかったのではないかと、答えられなかったのではないか。結果としては、これ以上やると、いろいろな問題が出て来て、大変な事になるのではないかと感じて、村長は止める事にしたのではないかと思います。議会では議決していますから、会社設立ということにすれば出来たはずなのです。

「新しい公共を考える」の丸山さんの提起されたことで考えれば、反対運動としては成功したと、撤回させたということでは、成功しましたけれども、村の体質というのは、打撃を受けなかった。早めに撤回しましたので、村長が、自分で責任を取りたいということで、給料の十分の一減額を提案したら、これは否決された。要するに、村長は責任がないということで、議会はそういう態度でしたし、村長も、これは反対があったから止めたのではなくて、企業のプライバシーに関わる問題が出てきたので止めたというようなことを言っていました。

プライバシーに関わる問題というのは、「豆食」という会社が、工場の家賃を3ヶ月滞納している。これは、どこかに書いたと思うのですけれど、これはプライバシーの侵害だと言う。村の立場というのは、こういう事業は、秘密のうちにやらないと上手くいかないのだと。要するに、「大豆の粉を売るという商売が、成功するかどうかは、営業内容を秘密にしないと売れない。」と、こう言うことなんでしょうかね。企業が事業を成功させるためには、秘密裏に進めて当たり前。これは、やむをえない。情報公開と企業秘密は、矛盾があったと言っていますけれど、要するに、「仕方がなかった。村民に黙っていたのは、仕方がなかったのだ。事業を成功させるためには、こうするより他になかったのだ。」と、言っています。

それは、今でも、そう思っていると思うので、今後も続くであろう。滝沢村の村長は、まだ、任期が長いですから、当選したばかりですから。無投票で、当選したのですから。まだ、続けるでしょうし、最近、宮古市長の奥さんを助役にした。ソイビーンズの問題をやった助役が、辞めたのですね。そのために辞めたのかどうか分りませんが、若い人で相当切れる人だったと思うのですけれど、辞めまして、大学院生の宮古市長の奥さんを、すえたと。


2-7 村の、行政のあるべき姿
村の体質は、全然、変わっていない。村の公共事業、事業、企業誘致も、企業を作る事も、第三セクターを作ることも、村のためにやることですから、村民が提案してやれるようになるには、まだまだ、ほど遠い。

反対は出来るんですね。我々は、反対は、成功はしたけれども、我々が、村の大豆を、もっと良い大豆を、本当に振興できるようなことをやれるのかというと、もっと皆で知恵を集めてやっていかないと出来ないし、村がそういう立場に立たないと、どうしようもない。

そういう意味では、村、自治体の改革みたいなものがあって、村の人の意見をくみ上げるような、そういう仕組みを作っていかないと駄目ではないかなと思いました。時間がちょっとオーバーしましたけれども、以上でした。




3. 発題、話題提供を受けての全体討論

丸山 ありがとうございました。今、最後に言われた事が、結論みたいな気がしますが、そこに持っていくには、公共に対して住民が、どういう形で参画していけるのか。そういう仕組みって出来るのかということが、一番の課題で問題であろうと思います。で、今、ご発言いただいた範囲、もしくは、関連して、ご質問をお受けしたいと思います。


3-1 情報公開について
男性 滝沢村には、情報公開条例は、あるのですか?

渡辺 さあ、どうだったかな。

丸山 あります。私もまちづくりのファイルで持っています。あるけれど、やっていないということです。

男性 やっていないというか、一応、申請すれば。出すか出さないかという判断はあるにしても、情報公開条例に基づいた申請をすれば、情報が出て来る可能性はある。それさえない所が、結構あるわけだから。

渡辺 我々、村の事に関心のない人が集まったものですから、村がどういう事をやっているのかも分らないし、どういう情報公開の仕組みを持っているか知らないままにやったということです。

丸山 今のお話だと、情報公開条例を持っている所では、システムとしては、引っ張り出せるわけですよね。でも、それを極秘にするという理由は何なのかと言った時には、ステップアップして裁判とか、そこまでいくんでしょうけど。

男性 条例があれば、一応、申請は出来るんですよ。だけれど、それを出すか出さないかというのは判断だし、もし、出さないという事になれば、それは争わなければならないという話になってしまうけれど。条例があれば、使えるものかなという感じです。

丸山 はい。当然使えるでしょうね。

男性 それさえない所も。とっかかりがない。全く情報を出さない所も結構あるわけです。

丸山 今のことで、少し話を進めると、やはり、公共的な国や役所のやっている事に関しても、どこからか漏れ聞こえてきたり、誰かがぽろっとしゃべったと。「あんな計画があるぞ。」と噂で聞こえてきた後に、「さて大変だ。」と、では、どうしようかと、役場に問い合わせたら、知らんぷりした。では、反対。反対というか、考える会みたいな、反対・賛成ということではなしに。ある集団化するなり、市民の運動化しないと、そういう情報が出てこない。まだ、そういう現状に、我々の社会はあるのかなと。で、それを変革する、もしくは仕組みとして作っていく道は、あるのかないのか。出来たら、具体的にどういう仕組みを作れば、それが可能なのか。逆に、情報公開条例があれば、それで良いのだと、後は、住民の意識が高いか低いかの問題で、高い人が請求して開示してもらえば、そこで議論出来るのだという考えもあるのかなと思います。なんかそのへん、非常に抽象的なテーマですが、今までの体験上のこととか、近在で起こっていることとか。そのへんも、お気づきのことも含めて、何かご意見ないでしょうか?


3-2 議会の閉鎖性、公開性、パブリックコメントの現状
男性 あの、滝沢村の担当をしている者ですが、皆さん、御存知ないかもしれませんが、滝沢村では、インターネットで村長の交際費を毎月公表していますし、情報公開条例が出来てしかるべきことだと、基本的には、滝沢村でも、そういう考えのもとに条例を作っているのです。情報公開室がありますけれど、情報公開請求の数が多いという事は、むしろディスクロージャー出来ていないということで、行政体としては、非常に曖昧だということで、そういう精神的なこともやっている村なんですけれども、今回、ソイビーンズの問題で、全員協議会というのは、執行部に説明を求めたりするもので、議会規則にあるものではないんですよね。だから、任意の協議会です。議会運営委員会とか常任会というような性質の議会規則にあるような、議事運営について参考にするために、議会が求めて、議会が主催して、執行部から村当局から説明するという。公開はしていないです。傍聴も出来ないです。報道も、滝沢の場合は非公開です。盛岡、雫石は、公開しています。紫波は、非公開です。

丸山 ありがとうございました。

渡辺 それは、各市町村で決めることが出来るのですか?

男性 任意なので。任意の協議会なので。条例で何か書面で、会議規則に明記されているものではなくて、議会の判断する、その時の状況によるのだと思うのですが、慣例として、非公開になっている場合が多いので、なかなか県議会や市議会のようには市制クラブや県政クラブのあるところのように、申し込みをして教えてもらう。

丸山 ありがとうございました。どうでしょう。やはり、隣の町の宮守村でも、文化会館を作ると。これは、選挙公約でも出てきた。あそこも、いろいろな公共施設があるけれど、ワークショップと称して、住民も声を聞くのだという時に、もうすでに作りますよと。作るという事は決まっていますから、皆さんの意見を下さいというところから、住民参加が始まって、ここも今、反対運動を展開しつつある。

大迫の場合も、「ブドウの丘構想・エコワイナリー」と称して、また十数億の金を使って観光的な施設を作ろうと。まあ、ブドウ生産農家の部分もあるのですが。これも、やはり教えてくれと言っても、まだ教えてもらっていない。これも、情報公開条例で、請求すれば出てくるのかもしれない。まだまだ、行政サイドが積極的に事業を公開していくという風には、なっていないと思っています。

県の方も、先日、平庭高原のエコパークという、20数億円で計画しているのがあって、たまたまインターネットで、こういう問題があるし、もっと改善の余地、もしくは、情報を教えて欲しいと出したところ、書面状で、きれいにプリントされて、新聞紙上に出ている程度の返答はありましたね。だから、「それでは新聞紙上程度で、もっと詳しく教えて欲しい。」と言ったら、もう少し数字が細かくなって来ました。で、最後に、「丸山さんのご意見を尊重しながら、現事業は、このまま続けさせていただきます。」というのが、最後に書いてあったと。

やはり、運動として動かしていかないと、行政はのってこないのか。放っておけば、やはりこのまま進んでしまうのか。そのへんが、このままで良いのかなというところだろうと思うのですよね。やはり、日常生活者が、意識を持った人が、反対運動なり情報開示なり、そういう動きをしていくのが前提だと。それがなければ、お上なり行政は、自分達の理念で、勿論、お上だって悪いことばかりをしようと思っている所ばかりではなく、良い事をしようと思って、やっているはずだから、任せておけば良いじゃないかと。下手すると、我々、市民も、一般的には、そうなってしまっている。そのへんの、自己矛盾のような所が、我々も変えていけるのか、どうなのかというような気がするのですね。

「公共性」と言った時に、公共事業と離れて、「公共性」と言った時に、すべての人に開かれているのが「公共」だと。ハンナ・アーレントや、ドイツの理論的な裏づけだと、すべてに開かれていると。だけれど、開かれているけれども、アクセスは自由だけれども、アクセスする人がいなければ、開けていても成り立たない。アクセスするためには、アクセスする能力もいるし、それなりの力量・知識もいる。やはり、烏合の衆に対して、ただ公共的に開いているから、これで良いのだと言った時には、戦時中と変わらない。ひょっとしたら、帝国主義と変わらない現象が、民主主義の中でも起こってしまう。今の淀んだ社会というか、何となく生き場がないというか。そのへん、何か言いたいのだけれど、どうやって言えば良いのかというジレンマに陥っているような気もします。


3-3 情報公開の方法、住民参加の難しさ
男性 職業柄、私は、行政側なのですが。行政側の代表としてではなく、個人として参加しているのですが、行政側から見ていると公表する、資料室に資料があるとか、情報公開が出来ますよと、情報公開室があるとか、資料がおいてあるわけです。今、県もそうだし情報合戦のようなものがあって、滝沢村もそうだと思いますが、その方が人気が集まりますから。公表すべき手法はたくさんあるのでしょうが、情報公開もしましょう。ホームページがあって、会見もして、資料室もある。(でも)どうするべきなのか分らない。言ってみれば、公式な情報公開の仕方が悪いのか、システムが悪いのか、よく分からない。それが十分なのか足りないのか分らない。それを変えたいので、いろいろな住民参加をやるとか。滝沢村が議会に話したことも、情報公開のひとつなんです。ある公共工事で説明会をしたけど、3人しか集まらなかった。

丸山 何についての説明会ですか。

男性 道路工事です。道路工事をやるための住民説明会です。それは、3人です。それは、行政側の働きかけが悪いのか3人。今日のように、皆さんのように土曜日に、こんなに集まらないです。行政側の働きかけが悪いのか、住民サイドは来ない。

丸山 ありがとうございました。今のは、行政もインターネットであり、情報公開制度であり、閲覧であり、場合によっては、説明会もやっている。だけれど、住民サイドはなかなか来てくれないし、もっと情報公開して議論したいけれど、さて、どうやっていけば良いのだろうかと。何か海外の体験とか、自分の体験上とかアイデアとか、渡辺先生、自分で活動して思われた事等がありましたら。今後は、どうなんですか?今の動きは。


3-4 住民主体の「まち・むらづくり」
渡辺 あんまり早めに撤回されてしまったので。私は、地域づくりをする勉強会をするとかそういう方向にしなくてはいけないのではないかと話はしているのですが、皆さん、自分が困るという時は動くのですが、自分で新しく何か村に、こういう事をやってくれとか、こういう事をやろうじゃないかとかという提案は、皆、頭が向かないです。一般にそうじゃないかと思います。

滝沢あたりは、地元の昔からの農家・住民よりは、新住民が多くなっていますから、それは、もう盛岡通勤者ですから、自分の生活する所は、男性は寝るだけとか、女性も働いていれば寝るだけだから、その暮らしがなんとかあれば、村が何をやろうと関係ないという感じなんですよね。旧村民、昔からの農家の人達とか、いろいろとやっているのだけれど、それはもうパイプを持っていますから。さっき言った村長に賛成する議員のグループ。村長系とか反村長系とか。皆、ルートを持っていて、要求を実現していると思うのですよ。ある程度ね。昔もやり方で。要するに、国の仕事を持ってくるとか、補助金を引っ張り出すとか。そういう事で、旧村民は、そういう事で要求を出して、そういう事で解決しようとしている。新住民は、関係ないよと。生活出来れば良いよと、そういう事です。非常に難しい地域だなと。

だから、大迫も良いか悪いか知りませんが、新しい村おこしを、何かやっていますよね。それから、村長も言っていたのですけれど、葛巻だとか村おこしの事例を成功させている所もあるのだから、滝沢村もやるのだと、こういう言い方なんですよ。村長の意識としては、村おこしだと思っている。我々から見ると、村潰しなんですが。
本当の村おこしをするようなグループを作るとか、村民の動きを作るというのは、なかなか難しい。どういう事を手がかりにしたら出来るのか。そこは、いろいろ、みなさんから聞きたいなと思っています。

私は、過疎地帯の方が、ここで生きていくしかないし、ここをもっと良くしたいとか、なんか要求が出てくるのではないかと。やりやすいのではないかと。そういう動きは、滝沢で言えば、旧村あたりで、芸術家村などから、新しい文化的な運動のようなものが出来るのではないかな。そういう所から、時間はかかるだろうけれど、村の産業をどうするかとか、村の発展とか、そこの動き自体が必要だろうと思うけれど。反対という事は、はっきりとした事なんです。皆、動くのですが。

丸山 そうですね。まあ、反対運動はやりやすいけれど、新しい事を創造していくクリエイトしていくためには、なかなか人は集まり難いという事なのかな。どうでしょう?


3-5 情報公開の質の問題、ディスクローズとディスカバー
女性 私は、非営利で政策評価をしていのですが、先ほどの情報公開の件で発言していいですか?行政の情報公開には、ディスクローズとディスカバーとあるみたいなんですね。ディスクローズとは教えていく。ディスカバーというのは、さっきみたいに、見に行けば見れますよ。隠していませんよという事なんですね。先ほどの件も、教えていく義務があると思うんですね。そこはもう、話し合う余地がないと、私は思います。

それで、滝沢村がいち早く、企業経営理念を入れたと先ほどおっしゃっていましたが、滝沢村としては、利益を上げていこうということになってしまったのかもしれないですね。そういう意味では、経営理念を取り入れたのかもしれません。ただ、滝沢村が、今行なっている経営理念だったのかもしれないのですが、税金を使って行う活動をどうやって決めていくのだという決定分析というのは、すごく問題があって、そこに議会が、まったくチェック機能を持っていない。専門性もない。それから、判断力がない。言われるままに、本来、探索しなくてはいけない関係なのに、「イエス、イエス」と言って、「黙っていろよ」と言えば黙ってしまっている。そこに、滝沢村の問題があるのではないかと思うんですよね。

丸山 はい。非常に重要なお話で、「情報公開。情報公開」と言っているけれど、質があるのではないか。積極的に打ち出していくのはディスクローズですね。それから、「隠さないよ、聞きたければ、聞いて下さい」と、いうのと。どちらかというと、今は、「聞きたければ、聞いて下さい」と、いうレベルの情報公開を意識しているのではないかと、私も思っています。どうでしょう?

それから、先ほど出てきましたが、道路工事の説明会を開いても、所謂、公共工事の説明会を開いても、来る人は2〜3人という問題がある。だけれど、ひょっとしたら、近くにディズニーランドのような遊園地を作ることになれば、もっと来るのかもしれない。だから、人を集める時にも、どのような、どういう規模の物は、ディスクローズなのか。ディスカバーなのか。そういう分け方もあるのかなと思います。それから、影響範囲というか。本来は、すべてディスクローズではないかと、私は思うのですが。そのへんも含めて。

それから、ひとつ事例として、ドイツあたりでやっていたエネルギーをどうするか。原発を辞めるか、どうするかという議論の時に、所謂、コンセンサス会議というものを使っているんですね。これは、住民・市民は、基本的には素人だと、これを各地区で20人位選任する。この指とまれではないけれど、関心持っている人来て下さい。集まって下さいと。まあ、今日の集まりみたいなものですよね。関心のない人に、いくら声をかけても、やはり来ないので、やはり、関心のある方を20人集める。それを、一応、市民代表として考える。
それに対して専門家集団をはりつける。それは、国サイドで。その中で、対話する中で、市民が専門家に対して質問をする。専門家は必ず答えなければいけない。何故、原発が必要なのか。原発の危険性は何なのか。素人は分らない。だけれども、プロは、それに対して研究をしているわけだし、情報も知っているわけだから、それに答えなければならないというルールづけされた、会議形態を作っていった。コンセンサス会議という。それを繰り返していく中で、住民もトレーニングされて知識も増えていく。

逆に、プロ集団と言われる専門家も住民も持っている意識・考え方を学んでいく。それは、行政が指導してやっている。行政は、まさに中立的な立場で、市民と専門家の対話の中から原発の将来像を、どう構築していくのかというものに結びつけていく。
ですから、「情報公開しましたよ。」ではなく、やはり、何か仕組みが必要なのかなと、私も思います。

アメリカ・ドイツ・フランス・イギリスの場合でも、議会が機能しているから、情報公開は伝えるだけで良いという考えの国もあるし、最初から、どんな事業も地域住民を集めて、住民説明会をしなければ、計画は立ててはならないという条例を作っている国なり地方もあると。

そのへんも含めて、我々が、どういう進め方が出来るのかな、というお考えはないでしょうか?「いやあ、もうこのままで良いじゃないか、お上のやることは放っておこうぜ」という。「結構豊かになったぜ」というところなのか。それとも、もっともっと、我々サイド、もしくは、中間的な。最近、NPOという言葉も出てきますが、中間的市民集団というものが必要だということもあるかもしれないし。はい。お願いします。


3-6 情報公開の質、メリットとデメリット、行政の役割、公共の姿
男性 僕は、商売をしているんですけれど、いろいろな物を売り込みに来るんですね。皆、売り込みに来ると、メリットは話すんですね。僕は、デメリットは何なのと聞くんですが、そうすると「デメリットはないですよ」という人が、結構いるんです。自分の持っている商品のメリット・デメリットを言えない人は信用出来ない。問題があれば、それをきちんと言う。この前も、平庭にトンネルを作ると言う。どれだけ早くなるのと聞いたら、10分だけ早くなると言う。「じゃあ、それは良いの?」と言う、そういう問いかけをする必要がある。遺伝子組み替えの反対運動が、盛り上がっている。あれも、正確な情報が伝わらないで、運動になろうとしているような感じがしています。

丸山 ありがとうございます。今のご意見は、非常に重大な事で、私も昔は、プランナーの端くれをやっていて、公共事業や民間の事業を「さ、どうですか。素晴らしいでしょう」とやっていた時代があるので。その時には、「儲かりますよこんな素晴らしい、世界最先端の空間が出来ますよ」と、それしか言わない。だけれども、その事によって、自然が破壊されるだの、経営が失敗したらハウステンボスみたいに潰れてしまうよと、そこまでは言わない。隠しておく。だから、今、すごく良いヒントかなと。行政ですら、メリットしか言わない。ひょっとしたら、デメリットが、もっとある。それを、お互いに認知した中で進めていく。そういう姿勢が必要だろうというご意見でした。いかがですか?そのへんで、行政の立場で現状で良いという。一市民としての客観論で良いのですが。現状で十分と、お考えか。もっといろいろな方策があれば、もっとなすべきことなど。

男性 今、おっしゃったとおりですよね。私達(行政)は、ほとんどメリットを話すんですよね。メリットはキラキラと話す。デメリットは、ほんの少しだけ、保険の注意書き程度に少しだけ。要するに、普通の人に、そういう風にやれと言っているんですよね。行革できるのは、トップは可能です。でも、一般行政人に、それを望んでも難しい。社会の中で、システムを作らないと駄目なのではないかと思います。

女性 行政マンが知らない場合も、あるのではないですかね。別に言わないつもりではなかったけれど、知らなかったという。だから、つまり、行政マンだけにやらせる社会そのものが悪いのだと思うのですよね。専門的な人も行政の中に入れて、カオスのような状態を作るような社会があって、初めて全部の情報が出てくるのではないかと思うんですよね。

丸山 今、おっしゃったことで、ハーバマスという人が言っているのは、社会主義が大衆運動で市民革命を起こすというようなところから、どうもソ連も崩壊したし、東欧も失敗したからちょっと変ってきたぞというところで、結局、公共の姿をどう考えているかというと、住民の運動・市民運動・社会運動・文化運動・芸術運動・音楽の活動・子供達の活動・環境運動、そういうすべての、人間が生きている活動が、集団化していき、フリーアクセスになって、賛成者も反対者も討論出来て、そこで初めて「公共」というものが生まれるのではないかということが、新しいのかなという気がしますね。

だけれど、今のご発言から一つひっかかるのは、行政マンというのは、行政のプロでなければいけない。建築屋は建築屋のプロである。コックは、食中毒を出してはいけないし、美味しい物を作らないと客も来ない。でも、行政マンというのは、客が来なくても仕事をしていけるわけですよね。クビにならないのだから。だから、私は、そのへんは、もっと厳しくあっていいのかなと。知らないは許されないのではないのかなと、私は思うのですが。

女性 行政って何なんだろうなと思うんですが。大事な事を知っているのが、行政マンかというと、ちょっと違うような気がするのですが。

男性 今の話は、僕は、成熟した社会は、そうあるべきだと思うのですが、どうも、まだまだ市民社会が未成熟だと思っているんですが。

丸山 国があって、県も含めてですが。これが、公共の「公」の部分になっていて、こちらが個人で「私」とします。公共工事というのも、お上がやっていたのかなと。どちらかと言うと、住民はこれに対して対立するか、無関心だった。だけれど、ここのところが、モヤモヤモヤとしていて、行政マンだけで「公共」ということを成し遂げることも出来ないし、住民の反対運動とか、住民の組織する活動だけで、所謂、中間集団のようなものだけで社会を動かしていくわけにもいかないなと。

やはり、「公共」と市民とを繋ぐ、サムシングというものが、これからの仕組みを考えていく上で必要なのではないかというのが、実は、今日、こういう会を開いた目的なのですが。成熟した理想形を我々は信じる訳にはいかないわけで、作っていくしかないな。


3-7 公共事業の地域性、効果・価値の多様性
男性 話まとまりませんが、ちょっと引いて広く見たい。要するに、日本は、かなり先進国家の仲間入れを果たしたんですね。そこには、先ほど来の、丸山さんおっしゃるように、公共事業というものを考えると、公共事業が必要とするような地域が、日本には、たくさんあるんですね。すでに、それは、もう行き過ぎ、或いは、そこから、少し展開を図った方が良い地域も同時にあるんですね。日本の中で。世界の中でも、同じだと思います。

丸山さんが出されたハーバマスは、正に、西洋世界しか考えていない。彼の論理の組み立ては、そうです。そういう限界の中での議論というのは、やはり捕まえにくいですね。そうすると、先ほどらいの、デメリット云々とかトンネルですね。わずか10分ではないかという。その10分の持っている意味、或いは、時間で測れないものというのは、やはりあるんですね。品物を運ぶとか。そうすると、ある基盤を整えた地域だとか国だとかというものと、それを最低限必要とする、ないしは、それが、今だからこそ重要だという地域もあるので、どこかに、この議論を収斂させてしまって、それで全部を覆ってしまうということについては、多少、抑制的に考えた方が良いなと思いますね。

最も、先進的な所では、正に、私は、グローバリゼーションというものが大きかったと思いますが、グローバリゼーションという、日本が対応を行なう中で、謂わば、地域だとか住民へのセイフティネットのような物が、全部取り崩されてしまって、担うべき役割というのが、国家自身が十分に、今、どこだということを明確にし得ない。そうした中で、我々がむしろ地域なら地域を、我々自身が積極的に、謂わば、ガバナンスしていかなくてはいけない状況というのが生まれている。そういう意味での「新しい公共」だと言って、これが全部、すべての地域、すべての国家、すべての世界に普遍的に、要するに、丸山さんがちらっと・・言葉では触れずに考えていくことが、今、大事だと、私は思っています。

丸山 ありがとうございました。基本的には満たされているもの、そうでない社会があるよと、だから、公共工事の考え方も、一概に、一発のシステムで括れる物ではではないという事ですね。

男性 何も知識がなくて質問ばかりなのですが。自分たちの地域を作る時に、「公共」というのは、誰が決めるのですか?

男性 それは、まちがいなく、国家が、やはりこういう生活の水準、ないしは、事実、その上に今、のっかっているということも、きちんと評価しなくてはいけない。

男性 それは、誰が決めるのですか?

男性 議会についても、議論していないというのは事実であり、国家の方しか向いていないという、そういうベクトルでしか機能していなかった議会ですからね。今後は、我々が積極的にかかわっていく。

男性 滝沢村の事は、滝沢村の人がやるということですか?

男性 そうですね。

丸山 時間もなくなってきたので、これだけは、という方がいれば。まあ、今、おっしゃっていた誰が公共を決めるのかという大きな流れは、日本の場合には、国家的には何々全総という1から3、4と続く、今、5全総かな。国をこう動かしていく5ヵ年計画ですかね。5ヵ年計画を作ったことだけ、日本は進歩的な国だと言われた時期があるくらいで。それが、大きくは決めているのでしょうね。国にとっての公共は。だけれど、享受するなり受けているのは、我々、個人だから。

では、どの時点を、「これからの公共」と呼べば良いのかというのは、僕は、今、クエッションマークだと思うのですよね。制度的には、先ほど、おっしゃっていたように、議会が市民代表なのだから、ここに説明をすれば公共は終わったのだぞと考えている、ある意味古い人もいるのではないかと。だけれど、我々みたいな集まりをしてしまっている連中は、もっと市民なり住民の声を聞いた上で、何かを動かして欲しいというのが、多分、我々が捉えている「公共」の概念だろうと。だから、これは、人によって違うのではないかなという気がするんですよね。

男性 同じ日本の中に、それが大変難しいのですよ。しかし、先進的な動きをしていかないといけないし、せっかくの志が何にもなりませんから、そこが、大事な位置付けを間違えないことが大事だと。

丸山 そうですね。はい。どうぞ。


3-8 議会制民主主義における市民の役割、新しい行政、住民参加の仕組みの必要性
男性 先ほど、話がありましたが、行政を変えるのは、トップだと。勿論、トップだけという意味ではないのでしょうけれど。では、市民の側から考えて、一番の早道はトップを変えることですよね。それから、先ほど、議会が機能していないと。機能させるには、そういう議会を選ぶしかない。非常に、単純な話ですよね。結局は、市民というか住民というか、主権者というか有権者というか、どれだけ、主権者足りえるかみたいなところが、一番問われているところだろうと思うし。ただ、なかなか、難しいとは思うけれど、やはりそこに、行き着いてしまうのかなというのが、ひとつと、先ほど、「或いは、それに変わる社会システムみたいなものを作る必要があるのではないか」と言っていましたが、では、システムというのが、実際、どういう物があるのか、どういう形で在り得るのか。議会が機能しなくても、別の形で住民参加で何かやれるとか。そういうのも、ひとつのシステムかも知れませんが、果たして、そういうものが有り得るのか。どういう風にして作れば良いのか。そういう事を、ちょっと考えているのですけれども。

丸山 これは、ある意味、いくらでもあるのではないですか。いろいろな公共事業のレベルによって、これは単独で国と県がとか。これは住民とこれは何とかって。システマティックに作ることも可能ですよね。そして、ここに、世界中のいろいろなシステムを取り込んでいって、我々が選択する。もしくは、新しい仕組みは何なのか。これを考えるのは簡単だと思いますよ。

男性 いや、考えるのは簡単だけれども。結局、何でもそうだけれども、機能させなくてはいけないわけですよね。

丸山 勿論。勿論。だから、この後は、どんどん制度化ですよね。制度とか法律に持っていくしかないでしょう。

男性 私は、こう思うのですが。議会があって、選挙で議会と議長を選ぶというシステムが・・その良いシステムがあり、良いシステムの傘の中では、いろいろなシステムがあり。住民参加・情報公開とか・・。

丸山 そうですね。議会制民主主義が完璧に機能していれば、今のようなことは考える必要がないのだと。だけれど、残念ながら、機能していないのが現実だということではないですか。

男性 今の議会は、やはり制約があるのですよ。だから、少しずつ変えていかないと課税権もないし、お金をどう使うかという責任は、所詮、知れているわけですから。そういう・・しかし、我々が変えていかないといけないという場合には、新しい組織を作っていくことですよね。そして、それを、少しずつ機能させる。国が、その地域に責任を持ってきた。上から上がってくると、やはりそういう形になりますよね。しかし、これからは、そうではないとなると、自治体の役割というものも、当然、限られたものになる。住民の力というものが、大きくなってきた。議会の力、働きどころというのも、当然、限界がある。これからは、住民の参加するところの方が、はるかに大きくなることも、地域によっては、あり得るでしょうね。

丸山 今、多分、思いを同じくしながら、ひとつの制度なり、システムのあり方みたいなものを話し合ったのかな。他にないでしょうか?

男性 議会の説明というのは、どうしているんですか?

丸山 基本的に、それは議員の裁量でしょうね。

男性 議員の裁量?

丸山 議員が、例えば、広報活動をどうしているかでしょう。と言うのは、我々は、国会を見るか、国会議事録を読むか、広報を見るしかないわけですよね。

男性 例えば、今、どこかで審議されているような事・・僕は、全然、今まで気にしなかったので。

丸山 多分、それは、やっていない議員が多いのではないでしょうか。殆ど。歳費は、飲み会に使って。あの、はっきりしている事は、議会制民主主義は良い制度だろうと、封建時代から動いてきて民主主義社会のひとつのシステムとして良いものではないかというところまで来たのが、やっと今ではないかなと。だから、これが、良かったと安住したら、今のような混沌とした状況になってしまって、常に変化していくクリエイトしていく、そういう政治状況なり市民状況でない限り、必ず、政治なり社会なりは疲弊していく。崩壊していくと、私は思っているのですよね。

最後に一言だけ、この前チョムスキーの本を読んでいて、アメリカは素晴らしい民主主義国家だと。アクセスフリーだし、言論の自由があるし、何の国家の統制もないし、まあ、「メディア・コントロール」の話なのですが、今のアメリカの状況を批判する知識人も、学者も、論理家も、思想家もいなくなってしまったと。社会運動家もほとんど。勿論、それに対してメディアもくっついてしまった。完全に、コントロールされてしまった民主主義だと。だけれど、状況は、すべてフリーなんだよと。誰も言論統制はしていない。誰もしゃべっしゃいけないとは言っていない。だけれど、社会全体が、アメリカという国が、そういう素晴らしい姿をしていなくてはいけないという幻覚に陥ってしまっている。

今は、ある意味、閉塞状況だと。だから、制度・システムが、どんなに自由でフリーであったとしても、そこで生きている人間に動きがない限り固定化してしまうという、最先端の事例を、あの国は示しているのかなと。
逆に、イラクのボランティア活動の女性達の活動の方が、もっと自由かもしれない。戦っているかもしれないし。事例として、一言でした。今、12時ですが、片付けも入れて15分ほど延びても良いということでしたので、もう少し何かありましたら。

女性 先ほど、住民も公共にアクセス出来る能力を持たないと、システムだけ出来ても難しいというお話がありました。これは、別件ですが、3月だったと思いますが、NPOガイドライン(案)を作成するにあたり、県が県民から提言・意見を募集していました。私は、考えるところを送ったのですけれど、それに対して、県内で2名しか提言を出さなかったそうです。岩手日報にも、意見を募集しているという記事は載ったのですが、2件しか提言が来なかったという事に対して、びっくりした次第です。ちょっとめんどうな事には、なかなかとっかかれないのかなと思っています。それから、先ほどのデメリットのことですが、情報公開も、デメリットがある場合には控える傾向が強いという印象を持っています。利権が絡む。及び、デメリットが多い場合には、公開を控える傾向にあるのではないか。公開を控えるということは、そういったものが絡んでいるのではないかという風に疑っています。今、県は盛んに、NPOとの協働を推進しようとしている時に、NPOガイドライン(案)についての提言がなかったということは、私としまして、ショックに近いものを感じましたので、ここで述べさていただきました。

丸山 はい。今のは、利権構造が絡めば絡むほど、行政は情報公開しないぞと。これは、現実ですね。

女性 いえ、断定はしていません。断定はしていませんが、滝沢の問題・平庭高原、我が町大迫の場合等を見ると、やはり、なんて言うんでしょう。行政の立場としては、したくないが、せざる得ないような状況に持っていかれるようなところも、あるのではないかという印象を持っています。

丸山 はい。ありがとうございました。ここで難しいのは行政マンと議会を構成している人間と分けて考えないといけないんですよね。行政マンは、悪いことをしている訳ではなく、賄賂をもらっているわけではないけれど、意思決定する議会の連中が利権構造とくっついているという構図は、非常に多いのではないだろうか。だから、議会も行政もひっくるめて公共だという括りは出来ない。議会は、やはり市民が選んでいる代表なのだという分け方をしないとまずいのかなとという気がします。それから、先ほどの情報公開ですが、NPOに対してコメントをしたのが、140万人の岩手県民の中で、ただ2人だけだったという事実があるのもショックでしたし、でもこれが現状かなと。

男性 そんなのが、あるの知りませんでしたね。

女性 日報に出ました。日報に出たことと、県庁の広報「まぐまぐ」に、わりと情報が出るのですけれど。県のホームページから25ページのものをダウウロードして、読むということは、なかなか大変でしたが、私にとっては、大事な問題なのでやりました。それに対して、県から、懇切丁寧な回答をいただきました。ただ、何ていうんでしょう。ここの情報公開も含めてなんですが、言われた事には何か答えなければいけないというようなところがあって、回答に無理がある場合と、回答できないものは削除されてしまう。こういうような意見がありましたよということで、意見だけ書き、解答は空白にしておくとか、或いは、「答えられません。今後、考えます。」というコメントでしたら、それで良いんです。ただ、まだ形を整えることに、一生懸命なのではないかという風に思っています。

男性 先ほどの、説明会というのは何回位やるのですか?

男性 1回の場合もあるし、数回の場合もあります。物によって。出来るだけいろいろな場所で。

丸山 大きな事業で、住民参加のワークショップということで、私も仕事でやるのですが、基本的には、「もうやりますよ。」と「やるから、どうやったら良いか一緒に考えましょう。」と。その前から、やるべきかどうかという議論というのが、まだないでしょう。本当は、そこからいければ良いのでしょうが。国によって、そこからやっている国もあれば、途中からやっている国もあるし。なんだか日本は、全部やっていそうだけれども、よく覗いてみたら何もやっていないのかなという気もする。さあ、あとお一方、1〜2分づついかがでしょう?

男性 役所で人を集めるというのは大変で、知り合い全部に電話をかけて、やっと20人。20人のうち14人が役所の人間という事もありました。だから、滝沢の説明会に130人集まったというのはすごい事です。・・何か問題があると集まる。問題がないと、殆ど来ない。皆、忙しいのでしょうね。・・来ないという事は、問題がないのではないかと。何が問題なのか見つけられない。中にいると見つけられない。良いと思ってやっているから問題があるとは思わないわけです。そこを、その見つけるシステムみたいなものをですね。それがないことには、ディスクロージャーしろと言われても。先ほど話しに出たみたいに1〜2人のような状況になってしまうと、「何だ。それでは、そんな事をやっても仕方がない。」という事になってしまう。やはり、システム作りは必要だと思います。

丸山 では、最後の詰めで。今の話は、我々、ずっと前から考えてきていることで、結局、行政と計画者、我々、市民の間に中間的専門家集団というのが、中立な立場で物を考えられるもの。これが、組織なのか、システムなのか専門家集団なのか。やはり、そういうものが必要なのではないかなと。先ほど、ライン河の問題と宍道湖の中海の問題と、やはり公共事業を考える時に、プロ対プロという戦いの時に、やはり住民は弱い。だけれども、それを公費なり、何々基金なりで専門的に考えられる仕組みなんですよ。こういう仕組みで公平なものがない限り、多分、いつまでたっても戦い運動が繰り返されるのではないかというのが、私の思いです。

それから、もうひとつ。個人と地球と、少し大きく言ってしまいますが、よくアイデンティティというが、私達はいろいろな関わりの中で生きている。今は、私達はひとつではなくて、自分に対する問いかけとか、自分と地域に対する問いかけとか、自分と住んでいる地方とか、自分と国とか。昔は、このあたりでコミュニティとか個人は生きていてよかったような気がするのだけれど、やはり、環境なり地球が壊れてしまったら、私達も死んでしまうというところまで来てしまった。そうすると、嫌がおうでもここまで考えないと、どうも自分達の将来も危ないなというところまで来てしまったのが、現実ではないかという気がします。

だから、昔、入会地みたいな所で、この中で、皆仲良くしていれば良かった。それが、お上が作ってくれる何か公共という物が出てきた。だけれど、今度は共存しないと、地球自身と共存しないと、我々は、生きていけないというところまで、実は来てしまったから、「公共工事」とか「公共を考える」というのは、自分達がどういう仕組みを作るかということは、地球環境をどう守っていくかというところに、最後は繋がっているのかなと。皆、そう考えてきているのではないのかなと。また、このテーマで、この会をやりたいなと思っています。はい。どうぞ。

男性 中間組織を作るという事は、過渡的な形態として非常に大事だし、今、これから積極的に作っていかなければ駄目だと思います。しかし、私は、基本的に行政その物が、公共・・これまでは、法律を、具体的な執行する時の形まで決めて、ただ行なったという、このレベルから、そうではなくって、どういう行政・どういう政策を・・組織が出来れば良いよということになれば、やはりプロにお任せでね。また、意識改革というのは、住民サイドからは、なかなか出て来ない。そういう意味では、先ほど、丸山さんがドイツの例を挙げて、住民を必ず組み込むような対応・システムを作る。これは、ひとつ大事だと思います。そこを、目標にしない限り、中間組織で終わってしまうと、多分、また、同じ繰り返しになるのではないかと思います。

丸山 ありがとうございました。何か、今のが、まとめのような気がしますね。無駄なセクションを沢山作るというよりは、基本的には、本来ある「公」というものと、我々「個人」というものが、対話しながら動いていける社会。それを作っていくのが、最後の理想だろうと思います。というところで、今日は、終わりにしたいのですが。よろしいでしょうか?では、渡辺先生、今日は、どうもありがとうございました。暑い中、今日は、ありがとうございました。やはり、テーマが広すぎるので、あるテーマに絞って、こういう会を、また、やりたいと思います。


戻る